「それでは皆さん、仕上げのデコレーションを始めてください〜」
 大学の教室の一室からなにやら甘い匂いが漂ってきている。廊下を通りかかった生徒もその魅惑的な匂いに誰もが思わず教室を覗いていく。
 その中ではエプロンを身に着けた女子大生たちが楽しげにおしゃべりをしながら、真っ白なショートケーキを作っていた。
「あー、クリームを塗るのがうまくいかないー」
 一人の女性がクリームの入ったボールを手にして悪戦苦闘をしている。
 その横からすっと誰かが覗き込んだ。
「どれどれ、スポンジにクリームを塗るときはこうやると綺麗にできるよ」
 そう言って女性から道具を受け取ると、慣れた手つきでスポンジにクリームを塗りつけた。その技術はケーキ職人のものと代わりがない。
「うわー、すごーい、上手ー!」
「回しながら並行に、ね。やってみて」
 言われたとおりにやると、女性もなんとか平らに塗りつけることができた。
「できたー。ありがとうございます!」
「すみません、クリームの飾り絞りのやり方教えてください」
 今度は後ろから声がかかった。
「はい、すぐ行くよー」


「今日はありがとうございました」
 女性たちがケーキの入った箱を手に壇上に集まって御礼をした。
「初めてでもこんなに綺麗なケーキが作れて感激です。全部先生のおかげです!」
「先生だなんて・・・・・・僕は教えただけ。君たちが上手だから綺麗なケーキが作れたんだよ」
 女子生徒に囲まれているのは早瀬和己だ。彼は謙遜するように手を振った。
 しかし、一人の女子生徒がそんなことないわよ、と笑った。
「だって、早瀬君は料理上手なだけじゃなくて、教え方もうまいんだもの」
「そうそう。ケーキ作れる男性なんてあまりいないわよ」
「早瀬君はケーキだけじゃなくて、各国料理なんでも作れちゃうでしょう? いいなー、うらやましー」
「じゃあ、今度はエスニック料理でも教えてほしいな。誰か来たときのとっておき料理」
「あ、バレンタイン用のチョコレートケーキもいいわよね」
「あはは、要望があればいつでも教えてあげるよ」
 その優しい言葉に女の子たちはきゃーと歓声をあげる。
「いいなー、やっぱり男の人は美味しい料理を作ってくれなきゃ」
「法学部で将来有望、頭も良くて、スタイルも良くて、料理もできてって完璧じゃん」
「でも早瀬君って彼女いないんでしょ、なんで?」
 その質問に和己はかすかに苦笑いを浮かべて答えた。
「んー、今は大学の勉強に専念したいんだ。あとやりたいこともあるしね。だから今のところはまだ、ね」
「そっかー、残念」
 そう言って女の子たちは笑顔で教室を去っていった。手には自分たちの作ったケーキを手にして。

 教室の後片付けも終わり、最後にテーブルを綺麗にしていると、突然扉ががらりと開いた。
「相変わらずの大盛況、みたいだったようね」
 扉にもたれるようにつぶやいた女性を見て、和己はにっこりと微笑んだ。
「おや、由香里先輩。どうしたんですか?」
 和己の一学年上にあたる彼女は彼が所属する料理研究部の部長であり、和己とは腐れ縁とも言える仲でもあった。
「料理研究部の部長としてあなたの料理教室の状況を見にきたのよ。ちょっと用事が入ってくるのが遅れたけど。残念、もう終わっちゃったのね」
 部長はそう言って壇上に残されたショートケーキを一瞥した。
「相変わらずいい腕しているわね。ケーキ屋のショーウィンドーに飾れるぐらい立派だわ」
「そんな、先輩には負けますよ」
 謙遜して言ったつもりが、彼女はなにを言うんだかとにらみつけてきた。
「私はね、どちらかって言うと作るより自分が食べていろいろな料理を研究するのが好きなの。作るのは副部長のあなたに任せるわ」
 そう言って部長はケーキのほうに近づいていった。
「で、どうするの? あなたが作ったこのケーキ。いらないなら私がありがたくいただいていくけど?」
「申し訳ありませんが今日は駄目です。誕生日用に作ったんで。ほら」
 そう言って彼は手書きと思われるチョコレートプレートを見せた。プレートの中央に丁寧な筆跡で書かれた文字、それは・・・・・・。
「たしかこの名前ってあなたの弟さんよね」
「そうですよ、今年うちの高等部に進学しました」
「高校生の弟に手作りバースデイケーキ?」
 正気なの、と言いたげな部長の視線にまったく気づかないのか、満面の笑顔で頷く。
「はい! 最近、なれない高校生活で疲れているらしくてあまりかまってくれないんです。なので誕生日に特製ケーキを作ってお祝いしてあげればきっと祐樹も機嫌を直してくれると!」
「・・・・・・あ、そう」
 すると突然和己が時計を見て慌てたように荷物を片付け始めた。
「これからスーパーによってご馳走の食材を買っていかないと! ではこれで失礼します!」
 嵐のように教室を飛び出した和己を冷めた目で見送りながら、部長は一人つぶやいた。
「あの超ブラコンぶりをさっきの女の子たちにみせてやりたいわ・・・・・」
 大学での彼の評価は何も知らない女の子たちにはかなりいい。だが付き合いの長い部長は彼の本性を知っている。
 彼女は心の中でおそらくこれから災難の降りかかるであろう彼の弟にエールを送った。
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翔峰学園物語
和己の料理講座
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