「おい、海都。手紙が来ているぞ」
 隣室の友人が部屋に顔を出すなりそう告げた。
 翔峰学園の男子寮である清花寮。男子校に似合わぬその可憐な名前の寮には、約60人の男子高校生が住み暮らしていた。海都の部屋は寮の3階の306号室になる。
 部屋には海都のほかは誰もいなかった。いつもにぎやかな同室者である後輩は日曜日でも部活の練習に出ているため朝からいない。
「はがき・・・・・・?」
 うあ、とうなりながらずるずると布団から這い出して、海都は顔を覗かせた。
 もうすぐ夏になろうというこの頃、今日は晴れているためか激しい日差しが窓から室内に入り込んでいた。部屋に冷房が効いていなければとても暑くて寝ていられない。
 昨夜はバイトが忙しくて、門限ぎりぎりで帰ってきたのだ。当然疲れているし、何より眠い。幸いなことに今日は学校のない休日だから昼飯まで静かに布団の中で体を休めたい。
 夜からはまた居酒屋でバイトだ。それまではできる限り寝たい。
「バイトばかりでよく体がつづくな」
 あきれたように漣がつぶやいた。
 確かにここ一週間は時間の許す限りめいっぱいバイトを入れていた。しかも結構ハードな肉体労働も多く、動けないほど疲れるのは当たり前だ。
「仕方ないさ。自分で自分の学費は稼がないと・・・・・・」
 そう言って海都は二段ベットから起きだして下に下りると、入り口に立っていた漣からはがきを受け取った。
 はがきの差出人を見ると、漢字とひらがなが入り混じった字で何人もの名前が書き連ねてあった。少しいびつなその字にそれぞれの個性が見えて、思わず海都の顔に笑顔が浮かんだ。
「こんなに自分の名前を書けるようになったんだな」
 ひょい、と裏を見ると、青々と茂る山を背景にとても仲良さそうな大家族の写真が印刷されていた。
 みんな真っ黒に日焼けして元気一杯だ。
「家族からか?」
 写真を覗き込んだ漣がたずねると、写真をじっと見つめたまま海都がああ、と頷いた。
「みんな、元気そうだなー」
 自然豊かな野山でどの子供ものびのびと育っているのだろう。その笑顔にはまるで屈託がない。
 写真の隅のほうに小さく走り書きがしてあるのに目を留めた。
『夏は返って来い。待ってるぞ』
 誰の名前かは書いていない。だが内容は短くとも、その力強い字にはあふれんばかりの温かい心がこもっていた。
(待ってるぞ、か)
 心の中でその言葉をつぶやいた。自分を待っていてくれる人たちの姿がそこにあった。
「俺にも帰るところがちゃんとあるんだな」
 しみじみとつぶやいた彼の瞳はどこか遠くを見つめていた。
 瞼を閉じて思い出すのは古びたアパートの一室。待てども待てども誰も帰ってこないその寂しい空間にただ一人、ひざを抱えて座り込んでいた。
 いつまでも開かない目の前の木の扉を見つめたまま、ずっと。
 もう遠い記憶なのに今でもはっきりと思い出すことができる。あの空虚感はいつまでも忘れることはできなかった。
 寂しさと痛みに耐えるだけだった日々。あのつらい時間は今はもうどこにもない。はるか昔のことだ。
「いいじゃないか、こうやって自分を待っていてくれる家族がいることは」
 海都ははがきから目をあげて、傍らに立つ友人の顔をじっと見上げた。いつもと変わらない笑顔を浮かべてはいても、瞳の奥に冷たい輝きが煌めいたのを見逃さなかった。
「漣」
「おまえはつらい日々を耐えた。だから今は与えられる幸せを黙って受け入れてもいいと思うが」
「そうやって甘えるわけにはいかねーんだよ」
 あの家族だって決して楽というわけではない。育ち盛りの子供たちがたくさんいるのに、自分がそれにただおぶさるわけには行かなかった。
「高校になったら自分でできることはする。学費は奨学金で、足りない分はバイトで稼ぐ。そう決めたんだ。寮に入ったのだっていずれ自立するための準備だしな」
 この写真に写っている場所は自分を待っていてくれる場所だが、そこはずっといていい場所でもない。まずは自分の力で生きていくそのための基盤を作らなくてはいけないのだ。
 でも、と海都はつぶやいた。
「今度の夏は帰るつもりだ」
 きっと待っているだろうから。自分が帰るのを。
 こうやって何度も何度も手紙を送ってくれるくらいだから。彼の机にはもう何十通も送られてきた手紙が丁寧にしまわれていた。
 去年はいろいろと忙しくしすぎて帰れなかった。いや、帰らなかったといったほうがいいかもしれない。心のどこかに戸惑う気持ちがあったのかもしれない。
 それでも彼らは自分を家族のように温かく受け入れてくれる。帰らない自分を待っているといい続けて。
「帰るのか。そうだな、そうしたほうがいい」
「漣はどうする? 来るか?」
 海都からの誘いに彼は首を振った。
「残念だが行けない。俺もさすがに実家に帰らなくてはならないだろうからな」
「そっか」
 それ以上は無理にとは言わなかった。どこかめんどくさそうに言った彼の声に、本当は行きたくないという気持ちがにじんで見えた。
(こいつもけっこう大変なんだよなあ)
 自分とは違った立場に置かれている彼の気持ちを慮って、海都は笑顔を浮かべた。
「それよりおまえの同室者をつれていったらどうだ?」
「遙か? あいつだって実家があるし、それに部活があるだろ」
「いや、お盆期間中は部活動はやらないことになっている。それに、一人でも力のある奴が必要だろう、お前の家は」
「そりゃそうだけどさー」
 海都はぽりぽりと頭を掻いた。
「ま、遙次第だけどな。帰ってきたら聞いてみるわ」
 漣が部屋を出て行くと、再び自分だけになった。
 これは机にしまうかどうか悩んだが、結局そのはがきは机の上に貼り付けた。そこに写るみんなの笑顔がまぶしかった。
「今年は帰るからな、きっと」
 決意を決めてつぶやく彼の顔はどこまでも晴れやかだった。
故郷からの便り
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※この作品は『読み物.net』様の夏の短編特集に参加しております。
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