エピローグ
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 忘れ去られた山道を登っている人影があった。あの事件から数日後、冬馬は千夏と一緒に街から離れた山里の山を登っていた。
 がさがさと足元では降り積もった落ち葉が踏み鳴らされている。
 普段、里のものでも入らないという山には道などほとんどなく、今歩いているこの道もせいぜい樵などが使っているくらいで、一見すると両脇から草が覆うように茂った獣道でしかなかった。
 どれくらい上っただろうか。山の中腹ぐらいの開けた場所に彼らは足を踏み入れた。
「ここだな」
 彼らの目の前には黒く焼け焦げて枯れてしまっている桜の老樹があった。
「本当にこっちの世界でも枯れてたんだな」
「このくらいの樹齢になるともう妖怪みたいなものだから、かなりの力のある精霊になるんだけど今回はその力の強さがあだになったのかもね」
 地面には黒く炭化した枝が落ちていた。樹から落ちたと思われる枝を拾って冬馬は言った。
「相手が悪すぎたんだ。なんていってもあの姉上相手じゃ太刀打ちできないさ」
 冬馬は手にした枝をまた元に戻した。自分たちはただ見届けに来ただけだ。本当に終わったのかを。
 桜の樹は枯れてしまって生命の息吹はどこにも感じられなかった。
 それを申し訳なく思う気持ちはあるが、それは桜の精霊の自業自得でもある。誰にだって踏み込んではいけないところはある。
「いくか、もうここには用はない」
 そういって彼らはもと来た山道を下り始めた。
 乾いた風が枯れた桜の樹を吹き抜ける。落ちきった木の葉が風に舞って空へと消えていった。


 神社に帰ると、鳥居のそばで裕次郎と姉が彼らの帰りを待っていた。
「どこ行ってたんだ。待っていたぞ」
 冬馬たちは階段を駆け上って二人のそばへ駆けつけた。
「まあ、ちょっと。それにしても今日は何の用事でここへ?」
「いや、先日の礼をしなければと思ってな。二人には迷惑をかけたし、餞別の品を持ってきた」
 そう言って裕次郎は手にした風呂敷包みをひらいた。中からは簡素な木の箱が入っていて、蓋をあけると中にはぎっしりといなりずしがつめられていた。
「うわぁぁぁ!」
 思わず千夏の口から歓喜の声がこぼれる。
「千沙からいなりずしが千夏殿の好物だと聞いたので、城下のいなりずしの名店でつめてもらった。たくさんあるぞ」
「やったあ! いますぐ食べよ、千夏、お茶の用意をしてくる」
 いなりずしの箱を抱えて千夏は跳ねるように屋敷のほうへ向かっていった。
「ったく千夏の奴。たいしたこともできなかったのにわざわざありがとうございます」
 頭を下げる冬馬にいやいやと手を振る。
「私が取り乱している間二人にはずいぶん迷惑をかけたからな。そのほんのお礼だ。気にするな」
「そうですか。義兄上はあれからお変わりなく?」
「ああ、体調も良くなったし、千沙がこまめに仕えてくれるから本当にありがたいと思っている。そうだ、この前のようなことがないようにと千沙が私のためにお守りを作ってくれたのだ」
 見るか、とごそごそ懐からなにやら小さなものを取り出した。紐でつながれたそれは錦の布で作った小さなお守りだった。
「これには災いから身を守る力があるらしくてな、もらってから毎日肌身離さずつけているよ。そのためかあれ以来、ぱったりと変なものは寄り付かなくなった」
「へえ、そうですか」
 そういって冬馬がそのお守りに触れようと手を伸ばした。しかし、触れる寸前で彼の背に嫌なものが走った。
(・・・・・・今の感じは?)
 お守りというと神の力が宿ったりしているからこんな嫌な感じはしないはずだ。なのに自分の本能がこれに触れてはいけないと警告を鳴らす。
 手を引っ込めて恐る恐る姉の顔を伺った。すると彼女は口元で意味ありげな笑みを浮かべてすぐその表情を消した。
(姉上、このお守りになにを?)
 冬馬が慌てて手を引っ込めたのを気にも留めず、彼は大事そうに再び懐の中へしまった。
「いいだろう、私は千沙のこのお守りを一生大事にする。私の宝だからな。あの時も千沙は私に術をかけていな、ほれ、夢の中で何か匂いがするといっただろう。あれは思い返してみると金木犀の香りだった。千沙は術で思い出の花の匂いを夢の中の私にかがせて、私が悪いものに捕われないようにとどめてくれたというわけだ」
 はたと手を打って裕次郎は慌てたように千沙に向き直った。
「そうだ、まだ義父上に挨拶をしていなかった。しまった、私としたことが。先に行くぞ、千沙」
 そういい残して去っていく裕次郎の背中を見送りながら、冬馬は傍らに残った姉に問いかけた。姉のことを裕次郎はたいそう褒めちぎっていたが、何かずれているような気がしてならなかった。
「お聞きしていいですか。あのお守りに一体なにをしたのですか?」
「あれはにね、私の念をこめているのよ。誰も近寄らせないように強烈なのをね」
 くすくすと笑う彼女の笑顔は精彩で、それでいて目だけは決して笑っていない。怖いのをこらえて冬馬は言葉を続けた。
「念、というのはなん、です、か?」
「決まっているじゃない。私のありったけの邪念よ。あれを持っている限り、あの方を奪おうとすればその者にはとてもよくないことが起こるでしょうね」
 さらりと言われて逆にさらに恐ろしくなる。
 本気だ。とんでもなく本気だ。きっとあのお守りはとんでもない代物なのだ。
 この姉が全力をこめて作り上げたあれは危険だ。たぶん相手が姉の禁忌に触れればきっと命すら簡単に消し飛んでしまうのかもしれない。いや消し飛んでしまうはずだ、容赦なく。
 ここにいたってやっとあの時の姉がものすごく怒っていたことに気がついた。だからもう二度とあのようなことは起させないという最強の防衛線。
「このこと、あの方に言っては駄目よ。知らなければずっと大事に持っているはずだから。いいわね、冬馬」
 冷めた目で見つめられて、彼はただ頷くしかなかった。
「はい、わかりました、姉上・・・・・・」
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