時は泰平の世、江戸という時代。長雨が降り続いて止まぬ、梅雨の頃。
 戦乱の時代はとうに過ぎ、記憶からも薄らいで、人々がやっと平和を掴み始めた時。
 これはそんな時代の物語。

 ここはどこにでもあるような土地と誰もが思っていた。
 何の変哲もない江戸から遠く離れた山間の僻地。その地を貫くのは、それほど名の知れられぬ小藩の城下町と遠い江戸とをつなぐ唯一の街道だった。
 雨で道行く人もいない道の脇の茂みの影でひそひそと話し声がする。
 光などない閉ざされた夜の薄闇の中、隠れるようにして何事かを話す男たちがいた。
 近くの町の者たちであれば彼らがすぐどういう存在かはわかっただろう。
 酒を飲みながら町で暴れ、それゆえに誰も手出しすることができず、さらに無法の限りを尽くす町の暴れ者。そんな彼らがなぜこんな雨の降っている夜中の街道に隠れるようにしているのか。
 ごくごく微かな小声で話すのは誰に聞かれるのをおそれたからだ。深夜とはいえ、これから行うことを誰かに聞かれたら全て無かったことにされてしまう。
「こいつを壊しゃあ、金十両もらえるんだな?」
「おいおい、声がでかいぞ。誰かに聞かれでもしたら・・・」
「ふん、何をびくついてんだ。こんな夜中、雨が降ってる中に誰が来るってぇ。誰も来やしねえよ」
 そう言った男が手にした大木槌を、それめがけて思いっきり振り下ろした。
 ぐわん、と鈍い音が響いた。地面が衝撃でわずかに揺れる。
 辺りが静かなだけに音が意外と大きく響いて仲間の一人が慌てて止めに入った。
「もっと、静かにやんねえか」
「わかってんよ、・・・・・・とりゃぁ!」
 数人の男どもがよってたかって木槌でたたき、あっという間にそれは粉々に砕かれてしまった。
「これで金十両はいただきだぜ。おい、さっさと細工をしてずらかろうぜ」
 一同の首領らしき男が言うと、他の男たちも賛成の声をあげた。
「どこかで酒でも仕込んで熱くしたものをきゅうっと一杯やりたいねえ」
「そりゃあ、いい。おめえ、一足先に戻って支度してろ。俺たちはさっさとここを終わらせてゆくからよ」
 一人の男が飛ぶように暗闇の中へ消え、残った男どもはその細工とやらを手慣れた手つきでやり終えた。
「これで、いいだろ。さ、ねぐらへさっさと帰るぞ」
 道具を肩に担いで、男どもは街道を宿場の方へと明かりもつけず歩きだした。

 残されたのは雨で水溜りがはねる音と田んぼで鳴く蛙の声。
 その夜は誰一人その街道を通る者はなかった。だからこの悪巧みが気づかれるはずもない。
 しかし、彼らは誰一人として気づかなかった。
 彼らが壊したものより浮かび上がった気配の存在を。自分たちの他にもう一つ何者かの存在がそこから現れたことを。
 薄ぼんやりとした光を放つ白い影はその男たちの後をひたりひたりとつけてきている。
 何も知らない彼らはその不気味な影を連れるようにして宿場へと帰っていった。
プロローグ
藤森の狐憑き
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