卯の刻 日の出前の起床
「っ・・・・・・いてぇ!」
 激しく痛む頭を手で抱えて冬馬は寝床から身を起こした。
 目の前でちかちかといくつもの星が瞬いた。頭を何か固い物体にぶつけた衝撃で、軽く眩暈を起こしたらしい。
 ばっと枕もとを振り向いて、痛みの元凶を睨みつけた。
「・・・・・・千夏、おまえどうしてこんなに寝相が悪いんだ。いや、何でここにいる!?」
 彼が使っていた枕を抱きしめながら、千夏と呼ばれた少女は布団をどこかへ蹴飛ばしているという素晴らしい寝相で寝息を立てていた。
 千夏、真の名を水葉という少女は人間ではなかった。本性は五つの尾を持つ黒毛の妖狐である。だが先日の一件以来、居心地がいいといってすっかり藤森家の一員としてずうずうしくも居着いていた。
 ちなみに千夏に与えられた部屋はここではない。どうやら夜中にこっそり冬馬の部屋へもぐりこんできたようだ。
 冬馬と大きな音がするほど頭をぶつけたはずだが、千夏は何事もなかったかのようにすやすやと安らかな眠りの中にいた。
 その幸せそうな寝顔を眺めながら彼は無性に腹が立ってきた。
(とんでもない石頭だなっ)
 だが、怒りに任せて無理に起こそうとすれば後が怖い。
 千夏の寝起きは、とてもよいとは言えない。むしろ悪い。非常に悪い。
 そのために冬馬は一度などではなく、毎回のごとくひどい目にあっていた。
(前みたいにねぼけて誰が誰だかわからなくなって、手当たり次第攻撃されてはたまんないぞ。それに・・・・・・荒れ果てた部屋の後片付けをするのは結局俺だしな)
 熟睡している千夏は多少の物音では起きないが、用心に用心を重ねて音を立てないように彼は起床の支度をした。
 もう一度頭を触ってみるとぶつかったところには大きなこぶが出来ていた。さわると熱をもってひりひりと痛む。
(・・・・・・朝から最悪だ)
 心の中で大きなため息をついた。


辰の刻 朝餉の苦労
 熟睡していた千夏ががばりと布団から跳ね起きた。
 まだ虚ろな目を宙にさまよわせて、何かを探り出すようにひくひくと小さな鼻を動かす。
「いいにほひする・・・・・・」
 かすかに漂う匂いに誘われながらふらふらと千夏は廊下を歩き出した。
 千夏の嗅覚は自身の本性が狐であることもあり、人のそれよりも遥かにずば抜けていた。ほんの僅かな匂いだけで何の匂いかすぐわかる。
「・・・・・・さかな、いわしのひものだ、きのうしょうやさんにもらったやつ・・・・・・」
 頭は半分ばかり夢の中をさまよっていた。だがその頭にはもう食べ物のことしかないらしい。


「これでいいだろ」
 味噌汁の出来上がりに満足した冬馬は、鍋に火をかけたまま囲炉裏の側から台所を通って外に出た。外の七輪で焼いている魚の様子が気になる。
 しかし冬馬はそこで七輪の側に座りこむ子供を見るなり、疲れたため息を吐き出した。
「・・・・・・千夏、履物をはいてから表に出ろよ」
 そう言って冬馬が抱き上げると、千夏はふにゃあとなさけない声を出した。
 千夏は素足で足の裏は泥まみれだった。着物も寝巻きのまま。しかもまだ寝ぼけているのか、意識もはっきりしてない。
 しょうがないので魚を焼き終わってから冬馬は千夏の足を洗うのと身支度を手助けした。彼の差し出す着物をのろのろとした手つきで着込み、それを冬馬が直してやる。
 最初は千夏のことをいやがっていたわりには結構マメに面倒を見る性質らしい。その内心ではまだ朝から迷惑をかけるなとつぶやいてはいたが。


 藤森家ではいつも囲炉裏のある居間に座って毎日の食事をを取る。
 しかし今朝は彼らの上座にあたる席が一つ空いていた。だがそんなことお構いなしに冬馬と千夏は箸を動かしていた。
 二人が食べ終わった頃、父の春光が居間に現われた。
「おお、二人とも早いのお、ふわぁ・・・・・・」
 大きくあくびをする父親を一瞥もせずに彼はさっさと立ちあがる。湯気をなくしている鍋を眺めて、春光は冬馬に言った。
「おおい、味噌汁がさめとるぞ。あたためてくれんかの」
「ご自分でどうぞ。それくらいはできるでしょう」
「冷たいのお。父親に向かってそれはないじゃろう」
「親と思って欲しいなら、その模範となることを態度で示して下さいと何度言わせるんですか。そんな目で見られても無駄です。さっさと自分でやってください。俺はやりませんからね」
藤森家の日常
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