戌の刻 化け物は人を求めてさまよう
 真夜中の墓地を闇が濃く包み込む。枯葉を踏む足音が深遠の闇の中へと消えてゆく。
 油断なく、あたりを見まわす冬馬。傍らに立つ千夏もまた厳しい表情を崩さない。
 まだ何も妙な気配はない。かといって気を抜くことは出来ない。
「墓地に出る妖怪っていうのはどういうものがあるか知っているか?」
 刀の柄に手をやりながら、彼は傍らの少女に小声で尋ねた。小声で話すのは辺りを警戒してのことであった。
 千夏は人差し指を顎に当てながら考える。
「んーー、あたしには専門外何だけどぉ、死者を食らうあやかし妖、死霊を操る妖、人の肉を食らう妖、とりあえず強欲で食欲旺盛なのが多いかな。死霊の類も生きてる人を食らって生き返ろうと考えてるつもりらしいけど、そんなことやっても無駄なのにねぇ」
 淡々とまるで文章を読み上げるかのように少女は言う。
 小さなその手ではらりと髪を掻きあげると、濡れた黒い双眸が不意に金の輝きを帯びる。瞬く間に少女は元の姿に立ち戻った。
「・・・・・・何か来るわ」
 彼女の声と共に、突如獰猛な叫び声があたりからあがり、闇の中から巨大な肉隗が現われた。黒い塊のそれは食べ物を求めているのか、首を大きく回してあたりを眺めた。
 それを見て冬馬は思わず、うめき声をあげた。水葉は嫌悪感に満ちた眼差しながら、平然とその化け物を見据えている。
 全身に毛をはやし、身体の大部分を占めるがごとく口だけが大きく開いていた。
「どうやら人の肉を食らうだけの妖怪みたいね」
 妖怪の形態を見て、千夏はその本性を推測する。
 化け物の視線が彼らを捕らえた。獲物を見つけたとでもいうように、長い舌で口を舐めまわした。
 二人を掴まえようと長い毛を蛇のようにうねらせて素早く伸ばしてきた。だがそれを見切っていた冬馬の一刀のもとに、長く伸びた毛は彼らに届く前に地面へと落ちる。
 だが懲りることを知らない妖怪はさらに彼らを捉えようと毛を大量に伸ばしてきた。
 斬っても斬ってもきりがないと思った冬馬は妖怪めがけて駆け出した。
「直接、叩き斬ってやる!」
 襲いかかる妖怪の毛をよけながら彼は飛び込んだ。
 勢いよく下から上へ斬り上げた。手応えはあった、だが妖怪の堅い皮膚に耐えられなかったのか、彼の手の中で刀はこなごなに砕け散ってしまった。
「・・・・・・ちっ!」
 やはり先日の事件の時にすでに刀が駄目になってしまっていたのだ。
「冬馬、これを使って!」
 投げられた刀は例のいわくつきのもの。しかし、命の危険が迫っている今、そんなことにためらっている暇はない。
 意を決して冬馬は禁じられた刀を抜いた。


 一方、彼から少しはなれたところにいた水葉の周りにも異変が起こっていた。
 妖怪の妖気に当てられたためか、眠っていたはずの死霊たちが身体を求めてさまよい出したのだ。恨み言を唱えながら、死霊は水葉を取り囲む。
「どうしておまえたちは死んでもまださまようのかしら。あの世からお迎えが来たはずなのに、それを拒んでまだ生きたい、生きていたいと世を呪う・・・・・・」
 黒い艶やかな尾を揺らしながら、水葉はゆっくりと宙に浮かぶ。その顔に浮かぶのは艶やかな、そして冷たい微笑。
「でもそれは世界の理として許されない」
 淡い色をした空気が薄紅色をした靄が死霊たちを包み込んだ。だがそれは一瞬のこと。その靄は瞬きする間に消えてしまった。
 少女は宙に浮かびながら、黙って死霊たちを見下ろしている。
 突然、群れていた死霊の一つが切り裂くような悲鳴を上げた。つられるように周りに集っていた死霊たちの様子が次々とおかしくなっていく。
 狐の姿を映した少女はそれを見て凄惨な笑みをこぼした。


亥の刻 呪われた刀の正体
 引きぬかれた刀は見事に鍛えぬかれた業のものだった。
 黒光りのする刀身。見事に研がれた波紋。そして、その鋭利すぎるほどの刃。
 手にした冬馬はその刀に施されていた技術に見とれていたのに気付いた。はっとして視線を目の前の妖怪に戻す。
「いまは、倒すのが先だ!」
 意識を目の前の妖怪に向ける。冬馬の与えた傷は浅いながらも妖怪に衝撃を与えたらしい。己の身体につけられた傷の痛みで、妖怪は苦悶の叫びを上げた。
 怒りの、もし目が見えるとしたらそう思ったかもしれない。痛みに我を忘れた妖怪は暴れ始めた。振り回される手足によって墓石がこなごなに砕け散る。
 近くの墓石の影に身を潜めて、彼は機会をうかがった。
 伸びてきた妖怪の腕をその刀で振り払う。だが傷が浅い。皮膚を軽く切り裂いただけだ。
 しかしその傷から異常な事態が起こった。
 彼が刀でつけた傷から妖怪の腕全体に赤い亀裂が走り、そこから夥しい鮮血が吹き出したのだ。
 吹きあがる妖怪の血を浴びる冬馬。腕から流れる血は止まらない。
「どういう・・・・・・ことだ・・・・・・?」
 そのつぶやきに答えをくれる者はいない。この絶好の機会を逃すまいと彼は刀を妖怪の胸に突き刺した。
 ―――ザクッ。
 貫いた時の鈍い衝撃が手に伝わった。
 刀が揺れる、鼓動、そして妖怪は血を破裂させて爆発した。
 妖怪の血が何かの力によって身体からあばれて噴出したかのようだった。その原因は、たぶん一つ。
 血と、肉片で、身体中が穢れた冬馬は茫然と手にした刀を見つめる。
「これが呪われた力の正体か?」
 はっとして、冬馬は連れの姿を探した。
「千夏、・・・・・・水葉!」
 その少女は彼から少し離れた場所で死霊に囲まれていた。助けにかけつけようとしたが、その光景に足が止まる。
 空に浮かぶ少女と足元でもだえ苦しむ死霊たち。
 水葉がかわいらしく小さく手を振った。
「ばいばい、あるべきところへ逝きなさい」
 その言葉が合図となって、死霊たちは砂のように崩れ、塵となり消えていった。それを見届けた水葉はゆっくりと地面に舞い降りる。
 近寄ってきた冬馬に向かってにっこりと笑いかけた。
「冬馬も終ったみたいね。水葉の方もかたがついたよ」
「今のはどうやったんだ? 水葉」
 ん、とちいさく喉を鳴らして、少女は袂から布切れを取り出した。近くの井戸でそれを浸して、これで顔をぬぐって、と冬馬に差し出した。
「夢を見せてあげたの。一番、その人にとって恐ろしい記憶。あの死霊たちに自分たちが死んだものなのだということを思い出させる夢をね」
「夢を見せて、そしてあいつらはどうなったんだ?」
「死霊たちは自ら行くべきところへ還っていったと思うよ。死霊たちがゆくべき冥界への門は開かれたみたいだし。死者は死者の国へ。ここは生きている者だけの世界、あの死霊たちはいてはいけない存在、だからね」
 全く変わらない笑顔のまま言う水葉。冬馬ももう言葉を返せないでいる。
「服、汚れちゃったね。どうする?」
「まず、庄屋のところへ行って、妖怪を退治したと報告してくれ。それから着替えをもらってきてもらえないか」
「いいよ、冬馬・・・・・・兄様」


子の刻 そしてやっと一日が終わり
 今日は何かと疲れる一日だったような、いや、とても疲れた一日だった。自分の生活がだんだん普通の世間から遠ざかっていくような気がする。
 実際とっくの昔にそうなっているのだが、普通の人を目指す彼はそう簡単に認めたくはなかった。
 ただもう何も考えずに寝てしまいたかった。
 布団をかぶって眠りの中へ逃避しようとする冬馬の背を誰かが揺らした。
「にーさまー、一緒に寝てー、こわいのー」
 猫なでの声でねだるのは千夏。それはさっき死霊を平然と一人で追っ払った者の言う言葉ではないはずだ。
「なにが・・・・・恐いだ、一人で寝ろ」
「やだもんねー」
 そう言って勝手にもぞもぞと布団の中にもぐりこんで、冬馬の胸にへばりついた。
「おいッ!」
「・・・・・・えへへ、あったかーい」
「こら、あついぞ、おい!」
 ぎゅっと着物を握り締めて、千夏はすぐに寝息を立て始めた。
「・・・・・・」
 起こすのも気の引けた冬馬はそのまま自分も眠りにつくことにした。
「なんかだんだん、ほんとに兄と妹になってきてるな」
 頭の片隅でそれは少し意味が違うのではと言う考えがよぎらないでもなかったが、彼はそんな現状に満足しつつあることを感じずにはいなかった。それは少々認めたくないこと、ではあったが。
 しかし、本当のところは誰にもまだわからないかもしれない。これからどうなるかはわからない。
 背中に千夏の気配を感じながら、彼も瞼を閉じる。
 明日は何が起きるだろう。こいつと親父は今度はいったいどんな騒動を引き起こしてくれるのだろうと、言いようもない不安を覚えながら冬馬もまた眠りにおちた。
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