半分に欠けた月が空に浮かんでいた。
 白い光を大地に放ち、ただ冴えた表情で眠りゆく地上を見下ろしている。
 まだ夜も明けやらぬ刻限。
 この藤森神社もふもとの村と同じように静かな眠りについていた。
 遠くの草むらで虫の小さな鳴き声がするほかは物音一つ聞こえない。
 静かなる夜。夜明けまであと少し。
 そのほんのしばしの安らぎの時間をあたえられ、いつものように眠りをむさぼるはず、だった。
 ―――カタン。
 床の鳴る音がかすかに響いた。だがその音に耳を止めたものはいない。
 月明かりの照らす縁側の廊下をすべるように動く影がある。
 足音もなく、緩やかな動きながら迷うことなく進んでゆく。
 影はしばらく廊下を行くと、ある部屋の前で歩みを止めた。
 障子で仕切られた部屋の向こうからは小さく寝言のような声が聞こえていた。
 その人は手を障子にかけると音を立てずにすっと横へ引いた。
 ほのかに月明かりに照らされたその部屋は、さまざまなおもちゃが散らばっていて奥のほうには一組の布団が敷かれていた。
 そこにはかわいらしい赤い花で彩られた布団をかぶってすやすやと子供が眠っている。
「ぜんざい、お団子、ところてん・・・・・・。わあいまだあるのぉ、しやわしぇ・・・・・・」
 むにゃむにゃと寝言をつぶやくと、くるりと入り口の方へ寝返りを打った。
 だがそこに見知らぬ人がいることにまったく気づかない。少女は安心しきっているのかぐっすり眠っていた。
 するりとその人は足音もなく部屋の中に入ってきた。
 藤色の地に白い花を散らした着物の袂が宙に揺れる。
 まだ少女は目覚めようと、しない。
 ゆっくりと、密やかに白い手が少女の頬に伸びた。
 白磁のような肌。なめらかなその腕は白銀色明かりが照らす月の下でさらに白く際立っている。
 少女の頬にやさしく触れて、その人は華のごとく微笑んだ。
「―――おはよう、千夏さん。起きなさい」


 名を呼ばれて、毛を逆立てて飛び上がる少女。
 目の前でにっこりと笑っているのは、まったく見知らぬ女性。
 一瞬、何が起きていたのか把握できずにいたが、すぐさま目が醒めた。
 寝起きと想定外の出来事でさすがの彼女も思考回路が混乱してしまっている。
 すでに頭は破裂寸前。
 沈黙を五呼吸分おいて、千夏は思いっきり息を吸い込んだ。
「・・・・・・き、きゃあぁぁぁぁーーーーーっ!!」
 近所迷惑にもほどがある千夏の大絶叫が屋敷中に響き渡った・・・・・・。
第一章 妖姫帰郷
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