「な、なんだ?」
 屋敷中に響き渡った声にたたき起こされた冬馬は、起き上がってあたりをきょろきょろと見渡した。
「今の声は・・・・・・あいつか? また寝ぼけているのか?」
 大好きな食べ物に虫がわいた夢でも見たのかな、とのんきなことを考えながら、上半身を起き上がらせた。
 そして背伸びをする。
 外の様子を伺うと暗い。まだ日は昇っていないようだ。
(ちょっと起きるにははやいけど、今日はいつもより多めに素振りでもするかな)
 よいしょと起き上がって布団を片付けようとしたときだった。
 廊下からどたどたどた、と勢いよく誰かが走ってくる音がした。
 勢いよく障子が開け放たれると、そこには例の居候のいわく付き娘、千夏が息を荒げて立っていた。
「とおまぁ・・・・・・」
 息も絶え絶えに少女は彼の名を呼んだ。
 冬馬はあきれた顔でたしなめる。
「おまえなあ・・・・・・朝はもう少し静かに・・・・・・ぐわっ!」
 千夏に体当たりされて冬馬はおもいっきり後ろにのめる。
 倒れた拍子に床に頭を思いっきり打ち付けてしまい頭がくらっとした。
 千夏はそんなことお構いなしにぐいっと胸倉をつかんでくる。上に乗っかっている千夏がものすごく、重い。
「・・・・・・お、降りろ」
 冬馬の必死の懇願を無視して、千夏は怒鳴りつけた。
「誰よ、あの人!」
 真剣なまなざしで千夏は冬馬をにらみつける。
「あの人?」
 またねぼけたんじゃなかろうかと思ったがそんなことを口に出せる雰囲気でもない。
 そんなこと言ったら、今度は頭に何を降らされるか。
「そうよ、冬馬は知っているんでしょ。気配がぜんぜんわからなかった。あの人普通の人間じゃない、何者なのよ!?」
 一体何がなんだかさっぱりだ。
「誰か来たのか? だけどまだ夜明け前だぞ、そんな非常識な・・・・・・」
「本当だってば! 私の部屋に入ってきたの!・・・・・・あっ!」
 千夏が後ろを振り向いたので、冬馬も彼女の視線の先に眼を向けた。
 衣擦れの音が廊下から聞こえる。
「まだ寝ているの、冬馬さん」
 凛と張り詰めた冬のような声音。さあっと冬馬の顔色が青くなる。
(ま、まさか・・・・・・)
 障子の向こうから現れたのはすらりとした女性だった。
 背にたらした髪は夜闇のように黒く、瞳は空に輝く光を秘めた星のごとき。
 その容姿は人とは思えぬほど美しい。
 だが冬馬はその美貌に隠された本性がなんなのか、身をもって知っていた。
「わたくしがこの家に戻ってきたというのに、出迎えのあいさつもないとは。それでもこの藤森家の嫡男ですか?」
 穏やかに微笑むその瞳は月の様に冴え冴えとした冷たい色が宿っている。
 思わず反射的に後ろに身を引きながら冬馬はつぶやいた。
「・・・・・・姉上」
 目の前に立つその人は相変わらずにこやかな笑顔を浮かべている。
 千夏も驚いたようにその女性を見上げた。
「冬馬の・・・・・・お姉様?」
「そうよ、千夏さん」
 赤い唇からこぼれたのは鈴のような澄んだ声だった。
 美しい顔をほころばせて彼女は告げた。
「私の名は千沙。そこにいる冬馬の実の姉よ」
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