第二章 謎めく謎
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 冬馬の姉、千沙が神社へ帰ってきてからはや三日が経とうとしていた。
 裕次郎は毎日のように訪れては彼女に帰宅をしてくれと頼んでいたが、当の彼女は会おうともせず、彼が肩を落としては帰っていく光景が日々繰り返されていた。
 哀愁漂うその背中は涙を誘わずにはいられない。
 この件に関しては冬馬と千夏はまったくの部外者でしかないので、表立って間に入ることもできず、ただその背中を見送るしかできなかった。
「お義兄様もご熱心だこと。いいわねえ、うらやましいなあ」
 物陰で裕次郎が帰っていくのをこっそり見守っていた千夏がつぶやいた。
 その言葉に同じく見守っていた冬馬の眉間に険しいしわが生じる。
「・・・・・・千夏、その言い方は義兄上に対して不謹慎じゃないか?」
「えー、だってそうじゃない。あれだけ戻ってきてくれって懇願されるのは女にとって最高のことじゃない? 毎日のようにあの得体の知れない《式》たちに叩きのめされてもめげずに、まだ帰ってきてくれって頼み込むお義兄様は本当に物好きって言うか、本当にご立派よねえ」
「千夏!」
 さすがに口が過ぎる千夏をたしなめるように、冬馬は語気を荒くする。だが怒鳴られても千夏はけろりとして気にも留めなかった。
「それにしても千沙お姉様が何をお考えなのかさっぱりわからないわ。ずっと部屋にこもっているし、なにか探ろうとしてもすぐはぐらかされるし」
 食べもので餌付けされているためか、千沙には少しだけ親しみを覚えている千夏だった。単純といえば単純だ。しかし完全に気を許したわけではなさそうだ。
 まあ、冬馬の姉だというからそれほど警戒することはないと思ったのかもしれない。
「俺は生まれてからずっと姉上のそばにいたが、あの方が何を考えているかわかったことはないぞ。姉上は昔から自分のことを話すことなんてほとんどなかったし・・・・・・」
「そんなのわかってるわよ。でくのぼうの冬馬にそんな器用なことできるわけないってしってるわよ。女の子の気持ち一つわからない人にできるわけないってね」
「おまえなっ」
「でもこのままじゃ、お義兄様のほうがかわいそうよねえ」
「ああ・・・・・・」
 うなだれて帰っていった義兄の後姿が哀れで仕方がない。だけど、どうして女の人一人にあんなふうになれるのだろう。道場ではいつもたくましくて門人たちをその木刀で叩きのめしているあの人が。
 男は惚れた女の人にはみんなああなってしまうのだろうか。
「俺にはわからないなあ・・・・・・」


 人が来ない縁側で一人坐って千沙はくつろいでいた。することなくただ庭の秋の景色をぼんやりと眺めている。
 傍らに一人控えた紅霞が空になった湯飲みに茶を淹れなおした。こぽこぽと注がれた湯飲みからほんわりと湯気が立ち上る。
 白い指先がそっとその湯飲みを持ち上げる。一口だけ口に含んで千沙はこぼれるような笑みを浮かべた。
「おいしい・・・・・・」
「帰っておったのか、千沙」
 上を見上げれば久しぶりの父の姿がそこにあった。閉じた扇を口に当ててほっほっほと笑っている。
 千沙は湯飲みを置いて父に向かって居住まいをただし、両手の指先をそろえて丁寧に一礼した。
「お久しぶりです、お父上様。御変わりなさそうで何よりです」
「おまえこそ元気そうだの。・・・・・・よいよい、堅苦しい挨拶は抜きにしようじゃないか。そこにいるのは紅霞か。わしにも茶を一杯くれないかの」
「かしこまりました」
 童が茶を淹れているのを見ながら、春光は言った。
「紅霞が淹れたお茶は格別にうまいからのう。このうまい茶を味わってしまうと、冬馬なぞが入れた茶はしばらく飲めなくなってしまうなあ」
 千沙はじっと父親を見つめている。問いかけるでもなく、ただじっと見つめるだけ。
 そんな彼女の視線に気づいているのかいないのか、春光は紅霞から湯飲みを受け取っておいしそうに飲んでいる。
「お父上様」
「ん、なんじゃ?」
 のんびりとした返事に千沙がわずかに視線を和ませる。
「お聞きなさいませんね、どうして私がここにいるのか、と」
「聞かれたくないから言わないのだろう。ここはお前の生まれた家だ、居たいだけいればいい」
「そういうところ御変わりなりませんね」
「そなたこそ強情なところは相変わらずじゃな。・・・・・・くっくっく、これから冬馬の奴が苦労することだろうて」
「弟はまだ苦労が足りませんわ。あれでは半人前どころか、赤子同然です」
 容赦なく弟を手厳しい言葉で切り捨てる彼女に、春光は苦笑を禁じえない。
「そこがあやつの面白いところなんだがな。少なくともからかいがいはあるだろう?」
「そうですわね。では私も少々遊んでいただきましょうかしら。退屈でしかたがないんですの」
 ほほほ、と口元に手を当てて微笑む姉をちらりと横目で見やって、父親はずずず、と茶をすすった。
「ま、ほどほどにしてくれよ。あやつが死なない程度に・・・・・・な」
 自分が息子に仕掛けた数々の仕打ちを棚に上げて、ぬけぬけと春光はほざいた。
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