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「やっぱりもう一度義兄上に聞いてみたほうがいいか」
あの姉に聞き出すよりはまず裕次郎の記憶を洗いなおしてもらったほうがいい。もしかしたら、姉のいないところで話せば何か思い出してくれるかもしれないし。
来たらそうしようと考えていたが、今日は裕次郎は神社へ来なかった。
おそらく朝から仕事でも入ったのだろう。道場でも姿を見かけなかった。同じ城づとめの藩士に聞くと、今日はどうしても抜けられない仕事が入っているということだ。
そのため、道場帰りの冬馬はすぐに神社へは帰らず、義兄の屋敷のある方向へ向かったのだった。
裕次郎は城下町の南側に屋敷を構えて住んでいる。
師範代から思いっきり稽古をつけてもらっていた冬馬が道場を出たのは日も傾き始めた頃。この時間になればさすがにもう帰っているはずだ。
黒々と立派な天守閣を城下に示す城を背に坂を下りながら、冬馬は屋敷に向かっててくてくと歩いた。
街中を吹きすさぶ風が肌を差すように冷たかった。あまりの冷たさに襟元を手で寄せる。最近は日に日に寒さが厳しくなってくるようだ。
あと一ヶ月もすれば城の向こうに見える山々も雪化粧で白くなるだろう。
(そのまえにいろいろ冬に向けてやらなきゃいけないことがあるなあ)
漬物を漬けるとか、味噌を作るとか、やりたいことはたくさんあった。
屋敷の家事全般を担う身としては忙しい時期になる。しかも彼がやると決めたらとことん極めるので、年々その腕は上昇中とのことだ。そのあたりの主婦顔負けの技量でも本人はまだ納得していないようだったが。
風が巻き上げた砂が目に入って、冬馬は涙目になりながら目をこすった。
「それにしても寒いなー」
手をこすり合わせながら温めていると、ふと道端の小さな張り紙が目に入った。
冬の名物だ。寒くなったから売り始めたらしい。
そういえば義兄上の好物だったはず。
「手土産にちょっと買っていくかな?」
ふらりと冬馬はその店先へと入っていった。
「失礼いたします。義兄上、いらっしゃいますかーーーっ!」
玄関を開いて冬馬は屋敷の中へ声をかけた。
だが静まり返っているので、もう一度声を張り上げると奥のほうから物音がした。
しばらくすると廊下の向こうから裕次郎が現れた。やはり帰っていたようだ。相変わらず憔悴しきった顔をしていて、冬馬を見るや力なく返事をした。
「おう、冬馬か。上がってくれ」
「義兄上。ではあがらせていただきます」
ぞうりを脱いで屋敷に上がる。ここは義兄しかいないせいか、どこか暗く、寂しい感じがした。
誰もいないはずなのにこの屋敷にはなぜか違和感を感じずにはいられなかった。
(それにしても、埃は見当たらないし、屋敷が妙にきれいなんだがどうしてだ? 姉上は《式》を全部連れていったはずじゃなかったのか?)
姉上がいないのではだれも掃除などする人がいないはずなのに。裕次郎一人では掃除などしないことは独身時代から彼を知っているのでわかっていた。
それとも、と冬馬は思い直す。
(姉上の影響で掃除するようになったのかなあ)
居間に案内されて、冬馬は畳の上に腰をおろした。
「すまないな、一人だけだからろくなものがないんだ」
そういって裕次郎は頭を下げた。
「茶を入れてくる。ここで坐って待っててくれ」
立ち上がろうとする裕次郎を冬馬は止めた。
「いえ、今日はこれをもってまいりましたので、これで」
冬馬が脇に抱えた包みから取り出したのは先ほど買い求めた大きな徳利だった。
これには裕次郎も目を輝かす。
「おお、甘酒か。もうそんな季節か」
「外はだいぶ寒くなってきましたからね」
ついでにこれも、とこれまた裕次郎の好物の饅頭も差し出した。
好物を前にして彼の表情もほぐれた。
冬馬は裕次郎が持ってきた茶碗へ徳利から甘酒を注いだ。白い液体が器を満たすとほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。
買ったばかりだったのでまだ温かかった。
「うむ、やはり寒いときには甘酒に限る」
甘酒を飲んで裕次郎の機嫌が少し良くなったらしい。
酒もいける口だが実は甘いものにも目がない。裕次郎は時間があればよく城下の菓子屋や茶屋を食べ歩いていて、よくおすすめの菓子を教えてもらったりもした。
気持ちが少し落ち着いてくれたみたいで良かった。
冬馬は甘酒の入った茶碗を下において、本題を切り出した。
「義兄上、姉上が出て行った心当たりは本当にありませんか?」
そういわれて渋面を作る裕次郎。くどいと怒られそうだが、彼は怒るどころか顔面を床に沈めた。
「あ、義兄上?」
思わず冬馬が声をかける。それほど裕次郎の姿は以前にも増して打ちひしがれていた。
「・・・・・・あれからずっと考えてみたが、何が原因かまったく思いつかない。今は千沙が何を考えているかまったくわからん」
がばっと冬馬の胸倉をつかむ。
「頼む! 千沙が何を怒っているのか聞き出してくれ、この通りだ! このままでは、このままでは・・・・・・ううっ!!」
(わ、義兄上が泣いている)
始めてみる、というか、むしろ見てはいけないものを見てしまったようだ。
肩に手を置きながら冬馬はやさしく慰めるようにたたいた。
「わかりました。何とかして姉上が怒っている理由を探ります。義兄上と・・・・・・我が家のために」
最後はぽそりと聞こえないように小声でつぶやいた。
「そうか、すまぬ、すまぬ。よろしく頼むっ!」
拝み倒す裕次郎を前にして、冬馬は心の中でため息をついた。
理由を聞きだすつもりで来たのに、逆に自分が理由を調べるのを頼まれるはめになってしまった。
(どうすれば姉上から聞きだせるかなあ)
今の彼にはいくら考えてもいい方法は思いつかなかった。