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「おーい、裕次郎殿、いるかー!」
 表から誰かがやってきて裕次郎を呼んだ。
「あの声は雄之助殿だな。すまぬが、少しここで待っててくれ」
 涙をぬぐった裕次郎はそういい残して、玄関へと向かった。さすがに朋輩にあの泣き顔は見られたくはないだろう。
 表のほうから話し声が聞こえてきた。どうやら仕事上のことらしい。
 残った甘酒をすすりながら冬馬は一息ついた。そして持ってきた饅頭に手を伸ばそうとしたところで手を止めた。
 視界の端で何かが動いた。
 その方向にゆっくりと視線を動かす。
 居間と縁側の廊下の間を仕切るように障子が閉められていた。その障子にうっすらと影のようなものが見える。
 影は障子の前にたたずんで動かない。
 冬馬は立ち上がってぱん、と障子を開いた。
「浅黄、お前なんでここにいるんだ?」
 障子の前に立っていたのは黄色い衣をまとった童。姉の《式》の童子だ。
「姉上に従ってほかの奴らと一緒に神社行ったんじゃなかったのか?」
 浅黄、と呼ばれた童子は押し黙ったままだ。
 黄みを帯びた瞳を向けながらまっすぐ冬馬を見つめている。
「何で黙ってる」
「・・・・・・千沙様からは誰にもかかわらず影になって見守れ、と命じられたが、そうも言っていられなくなった。これは私の独断の判断で千沙様の意思ではない。あの方の意思に背くのは心苦しいが、このままではすべてが取り返しがつかなくなる」
「お前、いままでずっと義兄上についていたのか?」
「・・・・・・」
 その問いには答えなかったが、否定しないということはそうなのだろう。この屋敷に残って影ながら裕次郎を見守り、屋敷をこっそりきれいにしていたのか。
 そういやここから庭が見えるが、塀のそばにある野菜畑、結構きれいに手入れされていたりするしな。裕次郎だけでは畑の手入れは無理だ。
「取り返しがつかなくなるって、なんだ?」
 浅黄は厳しい顔つきのまま、冬馬に告げた。
「そなたは裕次郎殿の異変に気づいているか?」
 異変、といわれて冬馬は彼の様子を思い返す。
「すこし元気がない、とかか?」
「・・・・・・本当にそれだけしか気づかないのか?」
 言外にあざけりの調子をこめて浅黄は言い捨てた。その様子に冬馬もむっとする。
「俺は姉上みたいに強い力は持ってないんでね。そんなに鋭くはないんだよ」
「それは違う。そなたの場合は本人が鈍くて気づけるのに気づかないだけだ」
「なにぃ!」
 こぶしを握り締めたがこらえた。いまは争うときじゃない。
「裕次郎殿に元気がない、というのは確かにそうだ。彼は生気を吸い取られている。それもここ数日のうちに日に日に吸い取られる量が増している。このままではあと何日耐えられるか」
「な、なんだって?! それ、姉上には・・・・・・」
「無論申し上げた。だがあの方はそれを聞いても関係ないわ、の一言で片付けてしまって、そのまま放置しろとのことだ。まったく、相変わらず強情な方だ」
 そういい捨てて浅黄は冬馬を鋭いまなざしで見上げた。
「だが放置するには少々危うい事態になってきている。昨日から裕次郎殿は幾度も歩きながらふらつかれている。本人はたいしたことはないと思っているようだがな。今日も城内で倒れて、気分が悪いのだろうということで早く帰ってきたのだ。あの丈夫だけが取柄のものがあそこまでやられるのはよほどのことだ。万が一、裕次郎殿に取り返しのつかないことがあれば、千沙様とて絶対に後悔する。さりとて、あの方を説き伏せふせるよりは頼りないがそなたにも動いてもらったほうがよさそうだと思った。裕次郎殿の異変の原因を探ってくれぬか?」
「・・・・・・なんか頼まれているのか、けなされているのかわかんないんだけど」
 まったく、最近の子供は生意気な。ああ言えばこう言う。いや、千夏もこいつも子供とはいえないか。
「そなたにとっても裕次郎殿は大事な人なのだろう?」
「そうさ、義兄上は尊敬する大事な方だ。だけど何で生気を吸い取られてるんだ?」
「だからそれを探れといっているのだ」
「ほんっとうに生意気だな。大体わかってんならなんでお前が原因探らないんだよ!」
 愚問を、といいたげに浅黄はため息をついた。
「私は千沙様に裕次郎殿のそばについていろと命じられている。断じて離れるわけにはいかない。そこで暇な顔してやってきたそなたに頼んだのだ。わからないのか?」
 そーですか、へー、そーですかよ。こぶしを握り締めて冬馬は怒りの限界をかろうじて抑えていた。
(本当に千夏といい、浅黄といい、どうしてオレの周りにいるやつらは生意気なのばっかりなんだよ!)
「わかったよ、やりゃいいんだろ。あとは何か情報ないのか?」
「私がそのことに気づいたのは千沙様がここを出て行かれた後だ。だが生気を吸い取っている妖怪らしきものの姿は見かけない」
 姿を見せない。ということは呪詛かなにかで義兄上を狙っているのか。
 しかし狙われるようなことをしたのだろうか。
「城内で何かあったとか。人間関係とか任務上のこととかで揉め事は?」
「私の知る限りない。裕次郎殿への怨嗟の声など聞いたことはないぞ」
 そりゃあねえ。あの人の良い性格で誰とでも付き合えるからなあ。
 裕次郎からも誰かを恨むような言葉を聞いたことはない。
「とにかく時間がない。このことは裕次郎殿には言うな。これ以上無用の心配をさせたくはない。千沙様のために、頼むぞ」
 そういってすっと姿を消した。
「おー、冬馬どうかしたか?」
 朋輩との話が終わって戻ってきた裕次郎が後ろから声をかけてきた。
 浅黄は彼の気配を察して姿を消したようだ。どうやら浅黄との話は聞かれなかったらしい。
「ん、どうした、顔に何かついているか?」
 あまりにまじまじと見つめすぎて、裕次郎がぺたぺたと自分の顔を触った。確かに、前よりも目がくぼんで頬がこけている。
 最初は姉の家出のせいかとも思ったのだけれど。
 冬馬はちらりと庭を見やって、頭を下げた。
「いえ、なんでもありません」
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