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「まだこないわね。いつもなら朝いちで来てるはずじゃない?」
 日はもう天高く上っているのに、まだ裕次郎の姿は藤森神社に現れていなかった。
 冬馬と千夏は鳥居の下に腰掛けながら彼が来るのを待っていた。
「たしかに遅すぎるよなあ。何かあったかな」
 はふ、と冬馬はあくびをかみ殺した。昨夜は結局千夏と黒曜が大騒ぎをして、さらに二人のあまりの寝相の悪さにしょっちゅう起こされて良く眠ることができなかった。
「倒れて動けなかったりってこと、ないわよね」
「・・・・・・わからん」
 このまま正午まで来なければ一度裕次郎の家まで様子を伺いに行ったほうがいいかもしれない。
 倒れて動けなくなれば浅黄が知らせをよこしてもよさそうだが、来た感じもなかったし、さっき平然とお茶を飲んでいる姉上を見る限りそんな様子はなさそうだ。
「あ、来た」
 千夏が立ち上がって階段を駆け下りていった。
 目を凝らせば下のほうからゆっくりと上ってくる人影がある。段々と近づいてくるとそれが裕次郎であることがわかった。
「あんなに遠くてよくわかるな、あいつ」
 千夏は階段をものすごい勢いで駆け下りて裕次郎の腕にしがみついた。そして腕を引っ張りながら裕次郎と階段を上っている。
 冬馬は最上段で立って待っていた。
「おはようございます。義兄上」
「ああ、おはよう・・・・・・」
 声に精彩がない。階段を上るのもつらそうだ。
 表情を見ると、昨日よりもあきらかにやつれていた。
(顔も青白いし、結構やばそうだな)
 浅黄は、と気配を探ると、いた。はるか下の階段のところでじっと裕次郎の行動を見つめている。
 心配でついてきたのか。だが裕次郎に気づかれないように尾行しているらしい。
「姉上はいつものように部屋のほうにいらっしゃいますが、行かれますか?」
「もちろん、決まっているだろう」
 たとえ生気を奪われていようと、千沙に帰ってくるように頼むことは決して忘れない。ここまでくるともう根性と気力だけでここに通ってきているのだろう。
 足をよろめかせながら裕次郎は千夏に連れられて屋敷のほうへ向かっていった。
 冬馬は去り行く背中を一瞥し、下からやってくる浅黄を待った。
「浅黄、義兄のことだが」
 小さな体で一歩一歩階段を上っていた浅黄は問いかけられて、彼のほうを見上げた。
「生気を吸い取られている原因、お前はわかったか?」
「いや、まだだ」
 階段を上りきった浅黄は冬馬の横に並んだ。
「どこかに巧妙に隠れているようだな。姿を現すわけでもない。だが確実に生気は吸い取られている。あの姿が証拠だ。私が思うに、どうやら裕次郎殿が眠られている間、奪われているような感じだな」
 睡眠中に様子を伺いに行ったときに生命の輝きが薄れていったのが見えた、と。ただ、吸い取られた生気がどこへ行くかまでは突き止められなかったという。
「姿を現さないでどうやって生気を吸い取ってんだ?」
「それがわからないからそなたに頼んだのが。やれやれ、役に立たんな」
「おまえ・・・・・・」
(人外のお前たちにわからないことがおれにわかるかよっ!)
 叫びたい気持ちをぐっとこらえて、彼は尋ねた。
「姉上にはこのこと伝えるのか?」
「もちろん申し上げる。そのために今日は来たのだ」
 ちらりと屋敷のほうを向いて、裕次郎殿の体調のことも心配ですが、と付け加えた。
「だが、まだ千沙様のお心が変わることはないだろう」
「あの様子でもか。まったく、姉上は何を考えているのか」
「・・・・・・」
 浅黄はそれに答えることはなく、黙って裕次郎のあとを追っていく。冬馬も慌てて追いかけていった。


 千沙の部屋の前に行くと、相変わらず恒例となった光景が繰り広げられていた。
 床に頭を擦り付けて許しを請う裕次郎と、座敷に坐って冷ややかにそれを眺める千沙。
 千夏はというと少し離れた廊下にちょこんと坐って、二人の様子を黙って見つめていた。
「あ、冬馬お兄様」
 彼女は冬馬の姿を認めると、こっちこっちと人差し指を唇に当てて手招きした。
「やっぱりだめそうか」
「うん」
 わが姉ながら強情な。
 彼らは廊下から静かに二人のやり取りを見守ることにした。
「頼む、この通りだ。帰ってきてくれ!」
「それはできないわ」
 千沙は立ち上がってゆっくりと裕次郎の下に歩み寄った。
「あなたは私と一緒になるときに、私が言った言葉を覚えていらっしゃるかしら」
「言葉?」
 ぽかんと見つめる裕次郎に、千沙の視線がやや鋭くなる。
「やはり忘れていらしたようね。私とともにいることであなたはこの世ならざるものに引かれてしまう。だから行動にも言葉にも気をつけるように、と。あなたにはわたしや冬馬のように抗うすべはまったく持っていないのだから」
「いや、それは忘れてはいない。そういった類にはつねに気をつけている」
 裕次郎は力説したが彼女は冷ややかにそれを受け止めた。
「どうかしら。彼らはどこにでも隠れているわ。それにはっきりとそれとわかる姿をとどめていない場合も多い。そして、あるささいなきっかけが元で妖に変わる事だってあるわ」
 姉上が言っていることは真実だ。だがそれが普通の人間にとっては理解しにくい。彼らは実際にその瞬間を見ることができないんだから。
 だけど例外もある。それは俺たちのように見ることができる人間のそばに居続けたとき。ずっと傍らにいた人は俺たちと一緒に見てしまう。人外なるモノの世界へ引かれてしまう。
 それは一番危うい。対抗する力を持たなければ、妖たちにとって人間は最上のえさにしかならない。
 はっとして冬馬は気づいた。
(もしかして姉上は・・・・・・)
「どうしても帰らないというのか」
「ええ」
「そうか。だが今日はあきらめぬ。そなたが折れるまでここで待っている」
 言い放った裕次郎の眼は本気だ。
「・・・・・・お好きになさいませ。倒れても知りませぬよ」
「倒れるなど、私はそんなやわで、は・・・・・・」
 ふらりと立ち上がろうとした裕次郎の体が横に揺れた。
「義兄上!」
「お義兄様!」
 冬馬と千夏の叫びが重なる。慌てて延ばした冬馬の腕は届かなかった。
 巨体を傾けながら裕次郎はそのままゆっくりと廊下に崩れ落ちていった。
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