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 あれだけの騒ぎに関わらず、裕次郎は朝になるまでまったく目を覚まさなかった。
 疲れなどというものではない。どうやら術のようなものをかけられているようだ。
 朝餉が終わると、冬馬は再び裕次郎の部屋を訪れて昨夜の件を伏せたまま、聞きたいことを質問した。
「最近、寝ている間にかわったことはありませんでしたか? 変な夢を見たとか、おぼえていることは」
「そういわれてもなあ、いつも夢は忘れてしまうからなあ」
 ぽりぽりと困ったように顎をかいていたが、そういえば、と思い出したようにひざをたたいた。
「そうそう、何か言いにおいのする夢だったぞ」
「え、美味しいものの匂いとか?」
「千夏!」
 思わず身体を乗り出した千夏を押さえつける。
「ちがうちがう、かぐわしい花の香りだ。この世のものとは思えないほどいい匂いがした。それがそうだな、日に日に強くなっているようなんだ。それで印象に残ったのか覚えている」
 匂いか。花の匂い。それはどんな匂いなのだろう。
 たしか千夏が桜の木の夢を見ていたといったな。
「それは桜でしたか?」
「うーん、そうだったかな。だが桜の花はそんなに強い香りはしないだろう」
 確かにそうだ。ではなんだろう。
「私も無骨者でな、花というものには詳しくないのだ」
「こういうことは女性のほうがわかりますからねえ。男がわからなくても仕方ありません」
 うんうんと同意して頷く冬馬。
「それにしてもなぜ夢のことを聞いてきたんだ?」
 どきっとして思わず胸に手を当てて動機を抑えた。彼は慌てて話をそらす。
 裕次郎には例のことはまだ秘密にしなくてはならない。さらに話がややこしくなる。
「そ、それは・・・・・・」
「あのね、夢占いなの」
 横から千夏が機転を利かせたのか、にっこりと笑いながら口を挟んだ。
「夢占い、とな」
「そう、最近千夏はね、夢占いが面白いなーって思っててね、いろんな人から夢の話を聞いて、占いの本を見ながら占ってるの」
「ほう、面白いことをしているんだな。で、私のはどうなんだ?」
「お義兄様のはねえ、夢の内容がわからないから占えないの。ごめんなさい」
「そうか、謝らなくてもいいぞ。私は気にしておらんからな」
 裕次郎は大きな手のひらで千夏の頭をなでた。義兄から見えないように千夏がちょろりと赤い舌を出す。
 その様子を眺めながら冬馬は胸をなでおろした。千夏の機転で深く突っ込まれずに済んだ。たいした情報は得られなかったが仕方がない。
 勝負は今夜だ。
 あとは、と冬馬は心を決めた。


「姉上、いらっしゃいますか」
 千沙の部屋を訪れた冬馬は障子の向こうから声をかけた。
 しばらく間があって中から音もなく障子が開いた。入ってこいということらしい。
 中に入ると障子の両側には白露と紅霞が控えていた。彼らはじっと見張るように冬馬を伺っている。
「失礼いたします。お話があってまいりました」
 文机の前でなにやら書き物をしていたらしい千沙がゆっくりと振り返る。
「来ると思ったわ。むしろ遅すぎるくらいだけど」
 悠然と微笑む彼女は手にしていた筆を机に置いた。
「あなたのお話を聞きましょうか」
「昨夜はなぜ俺たちを邪魔したのですか?」
 機会をうかがっていたとしか思えない登場の仕方だった。それでいて、姉はいっさい手を出していない。
「知っていることをすべてお話願えませんか」
「だいぶ鋭くなったようね、あなたは。最初から私があれの存在に気づいていたこともお見通しというわけね」
 姿勢を正し、坐りなおして冬馬と正面に向き合った。
「正直言って驚いたわ。久しぶりに会ったあなたの妖への感度が上がっているんですもの。本当に刀で切れるなんて思わなかった。それもすべて、あの娘の影響ね」
 ひたと彼を正面から見据える目はすべてを見抜く魔性の目。
「千夏を、払うつもりですか?」
「いいえ、そんなことは最初からするつもりはなくてよ。かわいい娘をいじめるのは趣味じゃないもの。それに、あなたがそうさせないでしょう?」
「・・・・・・はい」
 なんだかんだ言って千夏は悪い妖ではない。うるさくてわがままで頑固で意地っ張りで食いしんぼうでとても手に負えないが、それでも彼女はこの神社と関わる人々を守ろうとしている。
それも誰にも言われず、自分の意志で。それだけは確かだ。
「本当に驚いているわ。ちいさいころはちょっと脅かしただけでぴいぴい泣いていた泣き虫坊主が、いつのまにか図体だけは大きくなって、さらに生意気にも私に意見するなんて」
「・・・・・・」
「今夜もあなたたちはアレを退治するために何かやるんでしょう? 私もご一緒させてもらいませんかしら。百聞は一見にしかずというでしょう? そうすればあなたが私に聞きたいことが全部わかるわよ」
 わからない、やっぱりわからない。
 表情を読もうとしてもなにを考えているか読み取れない。
 ただ微笑みを崩さず、余裕すら感じられる。
「姉上はなにをするつもりなのですか」
「なにって、決まっているじゃない。お仕置きよ。おいたをする子にはお仕置きをしないと」
 彼女の瞳には冷たい輝きが灯っていた。
「今夜、月が昇る前に始めましょう」
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