第五章 暗き月の下で
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 外はあいにくの曇り空であったため、いつもより暗くなるのは早かった。そのため廊下は薄暗く、足元もおぼつかない。
 屋敷が寝静まる頃、冬馬は明かりを灯した手燭を持って、裕次郎の部屋へ向かった。だが部屋の前でふと足を止める。
 ふすまの隙間から明かりがこぼれていた。
「義兄上、まだ起きていらっしゃったのですか?」
 手でふすまを開けて声をかけた。
「ああ、なんだか眠れなくてな。良ければ何か本でも貸してくれないか?」
「疲れますよ。眠ったほうが」
「それががんばってみたんだが、どうしても駄目だったのだ。だから難解な本でも読んでいればそのうち眠くなるだろうとは思うが」
 まずいな、と冬馬は思った。裕次郎が寝てくれなければ、千夏の力で彼の夢の中に入ることはできない。
 もうすぐ時間が来てしまう。
「あれ、お義兄様おきていらしたの?」
 千夏が後ろからひょっこり現れた。
「おやおや、千夏殿まで起きていたのか。子供がこのような時刻まで起きていては駄目だろう」
「うーん、ちょっと起きちゃって」
 そんなことを言ってごまかしながら冬馬の着物の後ろをちょいちょいと引っ張る。
「どうするのよ。これじゃ駄目じゃない」
 小声でぼそぼそと非難するように言う。
「義兄上がまだ起きているのも俺のせいかよ。目が冴えて眠れないらしい」
「困ったわねえ。こうなったら実力行使よっ!」
 千夏の腕がまっすぐ頭上へ振り上げられる。その様をぽかんと見つめる裕次郎。
「まてっ、千夏!」
 止めるのも聞かず、千夏の瞳が黄金色に変わる。
 刹那、ガンッと大きな鈍い音があたりに響き渡った。
「義兄上・・・・・・すみません」
 千夏の作り出した金属の大たらいに頭を直撃された裕次郎が畳の上に延びていた。
 申し訳ないと深々と冬馬が頭を下げた。自分もやられたからわかるが、あれは痛い。ものすごく痛い。後で見たらものすごいたんこぶができていた。
「これでよしっと」
 ぱんぱんと手を払って千夏が得意げに威張る。
「あとはお姉様だけね。まだ来ていないの?」
「まだだ。何か支度をしているらしいが・・・・・・。義兄上をこのまま床に寝転がせていては駄目だろう。布団に寝かせるぞ、ほら足を持って手伝え、千夏」
「えー、仕方ないなあ」
 ぶうぶう言いながら彼女が足を持ち、よいしょと冬馬がわきの下から両手で持ち上げた。結構しっかりした体格のため、細身の冬馬には結構重い。
 何とかがんばって裕次郎を布団に運び、そっと横たえて掛け布団をかけた。
「お待たせ」
 廊下から千沙が現れた。彼女は布団に横たわる裕次郎を見てぽつりと言った。
「あら、寝ているのね」
「ええ、まあ」
 とりあえず先ほどの千夏の一撃のことは伏せておく。振り向いて冬馬は目を見開いた。
「姉上、その姿は・・・・・・」
「これ? これは私の巫女装束よ。見覚えないかしら」
 彼女は真っ白な水干に緋袴をはき、黒くつややかな長い髪を首筋で白い紙縒りで一つにくくっていた。面を伏せるとどこか愁いを帯びて神々しくさえ見える。
「うわー、お姉様綺麗!」
「ありがとう」
 千夏からの賞賛を素直に笑顔で受け取った。
 だが冬馬は背中に冷や汗が伝うのを感じた。
 なんかいやな予感がする。姉上には絶対に逆らってはいけないと本能が告げる。
 さっき会った時はそんなことまったく感じなかったのに、今の姉上には先ほどにはない凄みが笑顔の裏に隠されている気がした。それは巫女姿のせいなのだろうか。
「じゃあ、みんな揃ったし、行きましょうか」
 千夏は入り口に立つ千沙の方を振り向いた。
「お姉様、これから千夏が力を使ってお義兄様の夢の中に入ります。よろしいですね」
「あなたに任せるわ」
「ちょっと待った。どうやって夢の中へ入るっていうんだ。俺たちも眠らなきゃ駄目じゃないのか?」
 または気絶させられるとか。思わず冬馬はちらっと頭上を仰ぎ見た。
「そんな面倒なことしなくても平気よ。二人とも私と手を繋いで。そして冬馬お兄様はそのままお姉様と手を繋いで輪になるのよ」
 裕次郎を中心として三人は手を繋いで輪を作った。
「いい、私の言葉に耳を傾けて従って。まず目を閉じる。そして数をゆっくり心に思い浮かべて」
 行くわよ。千夏の言葉を合図に冬馬はゆっくりと心の中で数を数える。
 一、二、三・・・・・・。
 世界が揺らいでいく。確かなのは繋いだ千夏と姉上の手の感覚だけ。
 温かいそのぬくもりだけを手がかりに、俺たちは暗いどこかへ落ちていく。
 落ちて落ちて、自分すらもおぼろげになりかけたころにふわりと体が浮いた。
「着いたわよ」
 幼い少女の声が凛と響く。そして冬馬は目を開いた。
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