Copyright(c)2008.ginyouju.All Rights Reserved
 そこは漆黒の闇がどこまでも広がっている場所だった。
 ここが義兄上の夢の中。だけど見えるのは黒い空間ばかりで他には光一つ見えない。
 夢の中というのは闇に包まれているのだろうか。暗い闇の中に一つの光景が浮かび、そして闇に包み込まれて消えていく。
 この間の藤塚の一件の時に入った夢では地面に白い花が一面に咲いていたというのに、ここはなんて寂しいのだろう。
 傍らに立つ千沙を見ると、こちらも初めて夢の中を訪れたにしては落ち着いていて、冷静にあたりを眺めていた。
 二人の前にふわりと狐の少女が舞い降りた。狐の耳を頭の上につけ、五尾の黒い尻尾を優雅に揺らしながら彼女はしとやかに一礼した。
「この姿でははじめまして、千沙。私の名は水葉と申します」
「それがあなたの真の名前なのね。でもどうして私に教える気になったのかしら」
「確かに黙っていても何の差しさわりもなかったのだけれど、やっぱり公平じゃない気がして。冬馬のお姉様にはちゃんと本当のことを伝えたほうがいいと思ったの」
「正直なのね。わかったわ」
 口に手を当てて彼女は参ったといいたそうに微笑んだ。
「私は全部知っていたわ。裕次郎に妖しいものが憑いていること、生気を吸い取られていること、そしてそれが夜に現れることもね」
 彼女はすべてを語る気になったらしい。それは千夏、いや水葉が正直に自分の姿を晒したからかもしれない。
「だけど私は不安定な時期に入ろうとしていた。欠けていく月の波長が私を負の状態に貶めていたから、私はすぐさまそれを祓うことはできなかった。それに、あれはかなり年季が入っていて強いから力を貯めなくてはいけなかったわ」
 千沙は水葉のほうを向いてたずねた。
「女性は月に支配されると聞いたことがあって?」
「ええ」
「私は特にその影響が強いのよ。満月のときは聖の力が強くなり、そして新月では負なる力、そう邪の力が強くなる。そう、今の私は・・・・・・」
 その刹那、彼女の言葉をかき消すように闇の中から飛んできた花びらが彼らの視界に吹雪となって襲い掛かった。
「これは、桜?」
 淡い桃色の花びらが幾重にも風に乗って舞い散っている。
 どこからこれらの花びらがやってくるのか。冬馬は吹きすさぶ風の源を探した。
「あそこを見なさい、冬馬」
 千沙の指差したその先、そこには淡く光り輝く一本の桜の樹が闇に浮かんでいた。
 その根元には・・・・・・。
「義兄上!」
 冬馬の呼びかけにも反応はない。ただぼんやりとした風情で桜の花を見上げている。
 彼の元へ冬馬が近づこうとすると突如足元が割れた。
「な、なんだ!」
 裂け目から太い木の根が触手となって彼らに襲い掛かってきた。植物とは思えないそのすばやい動きで、明らかな殺意を持って狙ってくる。
 根の攻撃をかろうじて避けてはいたが、一向に裕次郎の下にたどり着けない。
「この、邪魔だ。これ!!」
 刀でなぎ払おうとする冬馬。その頭上を小さな影が飛び越える。
「冬馬、のろのろしないの!」
「うるさい、お前ほど身軽じゃないんだよ、俺は!」
 邪魔な根っこは彼に任せて、水葉はひょいひょいとよけながら裕次郎のいる桜の樹の下に近づいた。
「お義兄様、聞こえてる?」
 そう言って体に手を触れようとした瞬間だった。
『この御方に触れるでない。狐風情が』
 裕次郎と千夏の間に割り込むように、一人の女性が現れた。黒い髪を結わずにそのまま下へ長く垂らし、しどけなく着崩れた豪奢な着物をまといつつもどこか凛とした雰囲気を残している。
 女性は冷たい目で水葉を見下ろした。
『邪魔ものが入り込んだのはそなたのせいか。うるさい奴、さっさと消えるがいい』
 青白い手が水葉をなぎ払うと、水葉の小さな体は鞠のようにはねた。
「きゃん!」
 とっさに後ろに飛び跳ねたために急所は避けたらしい。しかし彼女はかなり遠くまで吹き飛ばされた。
「水葉、平気か?」
 まとわりつく根っこを切り払った冬馬が駆け寄って、水葉を助け起こす。彼女は顔をしかめて自分を吹き飛ばした妖しい女性をにらみつけた。
「こんのぉ、なんて力よ。あんなになよなよしてて、めちゃくちゃ強いじゃない」
「なんだ、あれ」
「あの女は桜の精霊よ」
 冬馬たちの元へ千沙が近寄ってきた。
「桜?」
「あの老木の桜、あの樹が月日を経て意思を持ち、精霊となって具現化したのよ。しかもあの桜は樹齢五百年は越えているわね。本体が長く存在してればしているほどその精霊の力は強くなる。人間の力ではまず敵わないわね」
「うはあ、だからか」
「しかも自分の力が強すぎて、自らの意思に関わらず周りにいる生き物の生気を勝手に吸い取ってしまっているわ。だからあの人もアレにとり憑かれて知らないうちに生気を吸い取られてしまったのよ」
 間抜けもいいところだわ、とあきれたように言っているが、それでは義兄上は哀れだ。あの人はごく普通のまっとうな人間だ。
 俺たちとは違う。違うんですよ、姉上。
 桜の精霊というその女性はぴったりと裕次郎に寄り添って離れない。その様子を瞬きもせずに見つめる千沙。
 その異常な様子に表情を凍らせながら冬馬と水葉は黙って彼女の横顔を眺めていた。
inserted by FC2 system