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「・・・・・・人のものを横取りするのはいけないって知らないのかしら」
 千沙は懐から白い札を取り出した。五枚の札が手の中に扇のように広げられる。
「おいたをする子はお仕置きしないといけないわね」
 宙に札を放り投げ、両手で印を作った。空高く札が舞い上がる。
「黒曜、白露、紅霞、青嵐、そして浅黄。私の前に化現せよ!」
 千沙の言葉に呼応するかのように、五枚の札がそれぞれ五色の光を放って輝き始めた。
 烈しい光と共に空に現れたのは、黒、白、赤、青、黄の五色の龍。それぞれが鋭い爪をもち、長い体をくねらせて宙を飛んでいる。
「これ、が、あいつらの本性?」
 はじめて見た。姉上の《式》がなにかの神を封じたものとは聞いていたけれど、まさか龍だったとは。
 隣を見ると水葉も上空の龍を眺めて絶句している。
「さあ、お仕置き開始といきましょうか」
 冷酷な眼差しで千沙は口元で微笑んだ。


 桜の樹の周辺はすさまじい攻撃に晒されていた。五体の龍がおのおのとんでもない力で攻撃をし、相手も負けじと応戦していた。爆風があたりに吹き荒れる。
 あまりの激しさに冬馬が姉に向かって怒鳴った。
「姉上! 少しは加減してください。あれでは義兄上が巻き込まれかねないっ」
「大丈夫よ。あの子達は優秀だから。・・・・・でもちょっとくらいならいいかしら、ね」
「冗談はやめてくださいっ!」
「平気よ。あれはお義兄様の影だもん。言ったでしょ、ここはお義兄様の夢の中だって。だからあそこにあるのは魂じゃなくてただの幻。意識が抜け出してきただけのものなの。痛みはあるかもしれないけど、魂は傷つかないから」
「あら、そうなの? じゃあ、みんな心置きなくやっておしまい!」
 威勢よく千沙は人差し指で桜の樹を指差した。その凛々しい姿はいつもの姉とはまったく違う。
「どうしたんだ姉上は。あんな攻撃的な性格じゃなかったはずだぞ」
「ほらさっき言ってたじゃない。新月になると負の力が強くなるって。たぶん普段押さえられてた部分が解放されちゃうんじゃない? しかも、今回はお義兄様がらみだし」
 戦いがあまりに烈しくなって二人は安全な場所に避難した。
「女の戦いって怖いわねえ」
 いつ果てるとも知れぬ戦いを眺めながらぽそりと水葉がつぶやくと、彼もまた頷いて同意を示した。
「ああ、怒らせないに限るな」
 そうか、姉上が怒っていたのはあの桜の精霊に対してだったんだ。隠れていて自分では直接攻撃することができないから、あんなにいらだっていたんだな。
 そう考えると納得できた。つまり、すべては義兄のせいだったんだ。
「お互いに良くやるよな。ところでこれいつ終わるんだ?」
 すっかり出番を失った冬馬は傍観者のごとく手を額に当てて遠くの桜の樹を眺めた。
「そーねー、もうそろそろじゃない? 一対五、ううん、一対六ね。いくら長寿の精霊でも勝てないわよ」
 しかも神である龍が相手だしね、と言って、腰を下ろした。つまらなそうに足をぷらぷらさせる。
「あーあ、出番なくなっちゃった」
「いいんじゃないか? ここで手を出すと逆にとばっちり受けるぞ。私の邪魔をするのって」
「それは言えてるわ。あ、終わりそうね。行きましょ、冬馬」
 戦闘は佳境に入ろうとしていた。紅霞の放った炎が桜の樹の根をすべて焼き払い、他の龍が桜の精霊と樹を取り囲んでいる。
 そして千沙がゆっくりと歩み寄っていた。
「そこまでのようね」
 一言言い放って千沙はまっすぐその女を見つめた。
 桜の精霊の女は自分の負けを認めようとはせず、頭を振って彫像のような裕次郎にしがみついた。
『嫌じゃ、嫌じゃ。私は離れたくない。この御方は私のもの。私だけのもの!』
 龍の烈しい攻撃に晒されてすでに女はぼろぼろになっていた。だが目だけはぎらぎらと千沙を睨みつけ、裕次郎を離そうとしない。
「ねえ、水葉さん。このままこの女をやったら、この人どうなるかしら」
 千沙は裕次郎を見据えたまま、駆けつけてきた水葉に振り向かずに尋ねた。
「そうね、この場合、痛かったぐらいの記憶は残るんじゃないかしら」
「そのぐらいならいいわ」
 優しい目、だがそれは相手に対する哀れみをこめた眼差しだった。千沙の細い指先が女に向けられる。
 びくっとして桜の精霊はさらに裕次郎にしがみつく。
「わかっているかしら。その人は私の夫であなたのものではないわ」
『違う、違う、この御方は私だけのものよ! あの日、私の樹の下で美しいと、花をいつまでも目の前で見せてほしいものだと、その心に偽りはなかった!』
 その言葉を聞いて姉はふうとため息をついた。
「本当に無防備なのね。あれほど言っておいたのに。言霊は危ないと」
 桜に魅せられて、そして裕次郎は桜に捕われた。
 本人の記憶がなくても夢の中でずっとしばられていたのだ。しばられて知らぬうちに生気を吸い取られていた。
「あなた、その人の生気を吸い取っていること気づいていて?」
『吸い取っているのではない。この御方が私にくれているのだ。衰えた私を哀れとの思し召しよ』
「このままではその人は死んでしまうわ。早く離しなさい」
『嫌じゃ、嫌じゃ。離さない、離したくない。そうじゃ、そなたは私がうらやましいのだな。この御方の心が私に傾いているのを妬いているのだな。ほんに、哀れだのう』
「よくもまあそんなふうに自分勝手に解釈できるのかしら。これはなにを言っても、無駄のようね」
 彼女はそういってにっこり微笑んだ。
「浅黄」
 呼びかけにこたえるように黄色い龍が空中で長い尾を振った。
「この女がやったことと同じことをして差し上げなさい。それもゆっくりと、ね」
 空中の龍が頷いたように見えた。一つ甲高い声を上げると、桜の花が徐々に散り始めた。
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