後刻、神社の拝殿前。
 石畳の上で一人、ほうきで境内を掃き清めている冬馬の姿があった。むっとした表情のまま、こみあがる怒りをこらえながらただ黙々と掃除をしている。
 精神を鎮めたい時はいつも掃除やら、別の細々した仕事をして気を紛らわせた。しかし、今日という今日はなかなか怒りが静まらない。
 今の冬馬の頭は一つのことしか考えられなかった。あまりにも重く、理不尽きわまる、たった一つの悩み。
 父親の作った借金をどうかたづけるか。
 返済の期日はすぐそこまでせまっている。徐々に催促も執拗になるだろう。なのに肝心の親父ときたら人に押しつけてさっさと逃げてしまい、神社にはあいにくとそのような余分な蓄えはない。
 特に謎なのは借りた五両というお金の行方。一体何に使ったというのか。事情など知らない冬馬には全く見当がつかなかった。
「・・・・・・どうすればいいんだ。無理だぞ、そんなすぐに用意するのは。だいたい親父がいけないんだ。何が悲しくて、俺が親父の借金のために頭を悩ませなきゃいけないなんて・・・・・理不尽だ」
 借りた金を返せなくて神社のものを差し押さえられれば、村の氏子たちにも、保護してくれる藩の方にも聞こえが悪くなる。だいたい、この神社には金になりそうなものといったらご神体くらい。さすがにそれを売るのはまずい。
 がしがしと後ろで髪を一つに束ねた頭を無造作にかいた。
「姉上に借りるか、でも、後が怖い・・・・・・な」
 うめくように冬馬はつぶやいた。
 数年前、藩士に嫁いで今は城下町に住む姉に対して、冬馬は頭が上がらなかった。父親が作った借金で首が回らないといって、あとで立て替えてもらった借金の見返りにどんな要求をされるか分かったものではない。
 ある意味、父親に似て姉もまた異次元的な人である。二人とも冬馬にとって生きている場所がちがうのでは、と思わせる不思議な人たちであった。
 ばさばさと乱暴に掃いているために土埃がもうもうと舞う。
 舞いに舞って周りの空気が茶色くなってゆく。しかし冬馬はそんなことに気をかまっている余裕がない。
「一体何に使ったんだ、五両も」
 この疑問はもう何度つぶやいたか分からない。
 父親は絶対に口を割らないだろう。あの狸親父の割ることはできない。はぐらかすに決まってる。
 今まで博打や女に手を出したことはない。その辺だけは彼も感心していた。
 が、もしそれに手を出したのだとしたらもう救いようがない。
(そしたら、今度こそただじゃおかない!)

 バキッ!

 冬馬が手に力を込めた時、派手な音がした。見れば足下には地面に叩きつけられて柄のところから折れたほうき。乾いた音を立てて転がっている。
 冷ややかな眼差しで冬馬はほうきの先を見つめた。
 あの世話の焼ける馬鹿親父をにらみつけるがごとく。
「いつもいつもいつも面倒を起こしやがって・・・・・・っ!」
「・・・・・・冬馬様?」
 声をかけられて、はっとした表情でその方角を見た。鳥居の方から境内へとやってくるのは、まだうら若い冬馬のよく見知った娘だった。
「美弥・・・・・・殿」
 息を弾ませてやってくる美弥は両の手に何やら風呂敷の大きな包みを持っていた。急いで階段を上ってでも来たのだろうか、頬がほんのりと赤く紅潮している。
 冬馬の前まで来ると彼女はにっこり笑った。
「お勤めご苦労様です。あの、どうかなされましたか。ほうきが折れていますけど?」
 そう言って冬馬の持つほうきの柄と、地面に転がったままのほうきの先を交互に見やった。
 村の長の娘として大事に育てられた彼女は人に対する嫌みが感じられない。いつもにこにこと朗らかに小さく笑い誰に対しても親愛の情を忘れない。そのために美弥は村でも好かれているらしい。
「いえ・・・・・・、ほうきが古くて折れただけです」
 父親の借金のことで、などと口が裂けてもいえない。村の尊敬を集める神社の神主が金銭のやりくりに困っているなどとは。
 言葉をごまかしてふいっと目をそらせた冬馬を、美弥はじっと不思議そうに見つめている。そして思い出したように抱えていた物の包みを開いた。
「これですけれどもお父様が神社へ届けるように託けられて持ってきました」
 白く細い手が風呂敷に包まれていた重箱を開けた。中には貴重なあずきを使って作られたぼた餅が入っている。
「たくさん作ったので神殿へ届けるようにと父が。どうか皆様でお食べ下さい」
 そう言って冬馬の手に重箱ごと手渡した。指先が冬馬に触れる一瞬、さっと美弥は手を引いた。そのままうつむいてしまったため表情が隠れてしまった。
 冬馬は美弥のほんの僅かな動作に気づかなかったようだった。
 何もなかったかのように重箱をふたたび包み、両手で美弥の前に掲げた。
「ありがたくお受けいたします。お父上にもよろしくとお伝えください」
 緩やかな動作で冬馬は頭を下げた。
 それにこたえるかのようにかすかに美弥は微笑んだ。
「冬馬様、私はこれにて失礼いたします・・・・・・」
 優雅にお辞儀をして鳥居の方へと歩いて行く。気のせいかもしれないが、一度、鳥居のところで振り向いたような気がした。
 美弥の姿が見えなくなってから冬馬は手もとの重箱に視線を移した。
「どうしようかな、これ。せっかくの頂き物なのにあの親父に食わせるのもなんか癪な気がするし・・・・・・」
 とりあえず掃除を終わらせようと、重箱を拝殿の段の上に置く。
 折れたほうきを捨てて、新しいものを納屋に取りに戻った。 拝殿の角を曲がって境内へふたたび足を踏み入れた時、冬馬の足が止まった。信じられないものを見て、冬馬の視線は拝殿に釘付けにされる。
(は・・・・・・? あれは・・・・・・なんだ?)
 言葉も出ない。
 彼の思考は真っ白になって、目の前にあるのが何なのかすぐさま判別ができずにいた。
(人・・・・・・いや、あれは物の怪だろ?)
 冬馬が見たのは子供が拝殿に座って、重箱に入ったぼた餅を夢中で食べている光景だった。
 あれが普通の子供、人の子だったのなら耳は頭の上にはない。獣のように大きな耳、そして着物の下から覗くふさふさと毛並みのよい尻尾。その色は深闇のごとき見事な黒。
 両手にぼた餅を持って慌てて食べていたその子供は自分を見つめる視線に気づいて冬馬の方を向いた。金の、夜に光る獣の眼が冬馬を一直線に射抜く。
 じっと自分を見つめる冬馬に驚いたのか、獣の眼をした子は大きく目を見開いた。
「―――ヒトには見えないはずなのに」
 つぶやいた子供の声は凛と響くかのような声音。
 ぼた餅を持ったまま、その子供もまた言葉を失っていた。
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