雨音が屋根をたたく音が耳にかすかに響く。
 夕べからやむことのない雨は早朝の空気を静寂に包む。外は冷たい雨で空気が冷えてまだ寒いかもしれない。
 外出の服装をした冬馬は忍び足で戸口に向かっていた。
 朝飯も作っておいたし、物音も極力押さえた。まだ二人とも布団から起き出す気配もない。
 後はそっと出ればうるさくされないですむ。
 ぞうりを履き荷物を肩に担いで、冬馬は館を出ようとした時だった。
「どこに行くのかなぁ、冬馬お兄様」
 背中にいきなり重量物が乗っかってきた。
 前にのめりながら、彼は恨みのこもった声を上げる。
「千夏、どうして今日という今日に限って起きてくるんだ」
 いつもはたたき起こさないと絶対に起きるはずがなかったのに。
 これが嫌だったんだと冬馬は心の中で叫んだ。
「だあってお兄様が黙って出ようとしてたんだもん。私に黙って出て行こうなんて甘いわよ」
 背中の上でえらそうにふんぞり返る千夏の重みでさらに上半身が前につぶされていく。いくら子供でも千夏の体重と道具が一緒になれば重い、重すぎた。
「そこからどいてくれ」
 しかし少女は生意気にもいやと言い放った。
「どいてください、でしょう?」
「すみません、どいてください、お願いします」
 血管が切れそうになるのを押さえながら頭を下げて彼はお願いをした。
 それを聞いて満足したのか千夏は彼の背中から飛び降りた。
「それでどこ行くつもりだったの?」
「・・・・・笹岡道場だ」
 言わないとどういう目にあうのか、すでにいろいろと実体験済みの冬馬は素直に応えた。
「ああ、城下町の剣術道場ね。そっか聞かれたら行きたいとかいいそうでうるさいから黙って行こうとしてたんでしょ」
 ずばっと言われて返す言葉もない。
 だが千夏はどうでもいいといった顔で彼を見上げている。
「それならどうでもよかったのに。千夏だっていろいろと忙しくて、一緒に行く気はないもん」
「毎日どこかを駆け回って遊び暮らしているだけのおまえが忙しいかよ」
「何か言いまして、お兄様?」
 非難の視線をむける少女の言葉を無言で受け流した。
 でもねえ、と千夏は言葉を切る。
「お兄様が私に黙ってたってことはいただけないな。・・・・・・そうだ、罰として何か買ってきてよ。お菓子がいいな、城下町でおいしいお菓子」
「何がいいんだ?」
 そのくらいならと気軽な気持ちで聞いてみた。
「えっとね、寿屋の金米糖に、大黒屋の紅白大福でしょう、それから蓮華堂の塩煎餅とぉ、白鷺屋の白玉団子にぃ・・・・・・あ、常盤堂の名勝落雁も」
「ちょっと待て、なんだその量に、やけに詳しい具体名は」
 予想外の多さに彼は千夏の言葉を遮った。
「このあたりでおいしいものはなあにってお父様に聞いたらこんなにいっぱい教えてくれたんだよ」
 ほら、と見せた料紙には城下の大小さまざまな菓子屋の名前とその名物がびっしりと書き連ねてあった。
「本当は全部食べてみたいの。でも一度に食べちゃうと楽しみなくなっちゃうでしょ。だから今回は五軒で我慢する」
「五軒で我慢って、こら。おまえがそういって選んだ店は俺に城下町を隅から隅まで走れっていう意味になるんだぞ」
「嫌だっていうの?」
「出来ればもっと近くにかたまっている店を選んでくれ」
「私はこの店のお菓子が食べたいのっ。買ってきてよっ!!」
 乾いた音が頭上で響いた。はっとして上を見上げると、天井から落ちてくるのは巨大な金物の鍋。
「・・・・・・げっ!」
 なんであんな金物の鍋が上から落ちてくるんだと思う暇さえない。
 目の前を掌ほどもあろうかという鍋が落下した。見事なまでに大きな音を響かせて床に転がる。
 床の上で円を描いて回る鍋を呆然と眺める冬馬。
「おまえっ、これは何でも危なすぎるぞ!」
 済ました顔で千夏はそっぽをむく。
「当てるつもりはなかったもん。でもこれで買ってこなかったらどうなるかな。頭の上にはじゅぅぅぶん気をつけてね」
「おまえはぁ・・・・・・っ」
 もうこんな毎日はいやだと今回ばかりは心の底から本当に思った。
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