あの日以来、千夏が家を空けることが多くなった。
 朝ご飯を食べて、ちょっと目を離すとすぐにどこかへ消えてしまう。神社敷地内のどこにも見当たらず、村で遊んでいるような気配もない。誰に聞いても見ていないと口をそろえて言う。
 だがご飯時になると必ず帰って来るのだ。
 さりげなくどこへ行っていたのか聞いてみても、無視されるか、関係ないでしょの一言で済まされてしまう。
 関係ないと言ってくれるなら、別にいい。かまってほしいとねだられないだけ楽、前みたいに静かに暮らせる。
 今日も千夏はどこかへ出かけて帰ってこない。
 冬馬はいつものように道場通いと家事とを一日おきに繰り返す生活を過ごして、はや半月が経とうとしていた。
 じめじめした梅雨はいつの間にやら過ぎ去って、今日は照りつける陽の光がひどく暑かった。
 もう夏がすぐそこまで来ていた。
 流れ落ちる汗を冬馬は腕で拭う。箒を握る手は汗にまみれて、べとべとして気持ち悪かった。
 もう日もかなり高くなっている。いつもならこんな時間に掃除はしないのだが、今日は親父が馬鹿やってくれたせいで他の片付けに手間取りすぎた。
 探し物だか何だか知らないが、押入れをあさっているのはまあいい。自分で勝手にやってくれるなら文句は言わない。だが、出すだけ出して散らかしたまま放りだすなど、一体どういう了見しているんだ。
(俺は使用人じゃない!)
 怒鳴りつけようにも言いつけた当の本人は、いつものごとくとっくに消えている。さすがに逃げ足だけは速い。
 仕方なくそれらの片づけをしていたら、掃除をするのがこんな時間になってしまったというわけだ。
 夏の日差しは暑すぎる。だが境内の清めは日課なので怠ることは許されないし、いい加減でも済まされない。
 律儀な彼はいつものように手抜きせずに掃除をしていた。
(あとは鳥居の辺りをやれば終わりだ)
 掃除道具を片手にぶら下げて、冬馬は階段近くの鳥居の方へ歩いていった。
 階段の上に威容を持ってそびえる朱の鳥居は、歴史が古く、なおかつ木製のため、所々はげ始めていた。修復しなければならないのだろうが、神社にはもうお金がない。
 最近は寄付金もないので、神社の経営は村の人たちに助けられて、なんとかやっていけるかというかつかつな状態だった。
「歴史だけはあるんだけどな、ここ」
 だが、長い年月など現実の前ではちりの重みも持たない。それに神社を預かる神主があれではどうしようもないではないか。
 深くため息をついて顔を上げると、階段を下から一人登ってくる者がいるのに気づいた。
 どこぞから来た参詣者か。わざわざこんな暑い時間にご苦労なことだ。
 その人は布で汗を拭いながら、階段を必死に登っている。あと数段で着くといったところで、やっと冬馬は声をかけた。
「当神社に参拝でございますか?」
 長年神社の仕事で培われた、表向きの丁寧な言葉遣いで彼は言った。
 いきなり頭上から声をかけられたからか、びっくりした表情でその者は顔を上げた。冬馬はその顔を見て、おや、と思った。
「どこかでお会いしたことがあるような。・・・・・・ああ、門屋の番頭の方ですね」
「・・・・・え、あ、あの時の。・・・・・・貴方はここの神社の者でしたか」
 番頭も冬馬に見覚えがあったらしい。小声でどこかためらうように返事をしたのでやはり様子がおかしいと思った。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
 でもなぜ城下町からわざわざ門屋の番頭がこの神社へ来るのか。別に氏子でもないし、一度もこの神社へ奉納などしたこともない。
 だからこそ考えられるのは一つしか思い当たらなかった。
「まさか、また借金の催促に・・・・・・ということですか?」
 冬馬の問いに番頭は目の前で右手を振った。
「いえいえ、そうではありません。本日はこの神社の神主殿にお頼みしたいことがありまして来たのです」
(・・・・・・親父に?)
 少しも予想しなかった展開に彼はしばし言葉を失った。
 どういうことだろう。あの親に何の用なのだろうか。
 内容を聞きたいと思う心を押さえ込んで、冬馬は番頭を自分たちの館へと案内した。
第三章 蠢き出した闇
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