(やはり気になる。でも立ち聞きはさすがに・・・・・・)
 急須を片手に冬馬は悩んでいた。お茶を出そうとしたのはいいが、その話というのが気になりすぎていた。とっくにお湯は冷めてしまって、再び暖めなおしている最中だった。
 父親に用があると。借金がらみではなかろうかと心配で何度か隠れて聞きにいこうと思ったが、さすがにそれはまずいと踏み切れずにいた。
 だがどうしても気になって仕方がなかった。
 痛む頭を抑えて冬馬はうなだれた。
(・・・・・・親父、頼むからこれ以上面倒なことだけは起こさないでくれ)


 ぱん、と小気味よい音を響かせて、白扇が閉じられた。
「それでご用件は何ですかな」
「は・・・・・・? 今お話しましたが・・・・・・」
 化かされたような間抜けた顔つきで、番頭は目の前の神主を思わず見返した。
 しかし言われた春光は顎に手をやって考え込み、そうでしたかなあとさらに間の抜けた返事を返す。
 指で顎を掻きながら神主の格好をした古狸は言った。
「たしかにお話くださったことは聞いていますがね。しかし店の者が次々と原因不明の病にかかったといわれても・・・・・・、私に病魔回復の祈祷を頼むよりも先に城下の名医にかかった方がよろしいのではないのでは?」
「そ、そんな」
「・・・・・・それとも他に何か心当たりでもおありで?」
 人を騙した笑顔を浮かべているが、眼の光は尋常ではないくらい光っている。この眼は冬馬でも見たことがないだろう。
「この際、隠し事は身のためにならないでしょうに」
 言うべきが言わないべきか、しどろもどろに迷っている様子だったが、番頭は意を決して真正面から見上げた。
「私めの知っていることは全てお話します。ですから、どうか見捨てないでください。藤森の霊異だけが最後の頼みなのです」
 頭を下げられて、春光は油断のない笑みを口許に浮かべる。
 根掘り葉掘りすべての事情を聞き終えてから、どこか得体の知れない神主は番頭に尋ねた。
「お引き受けはいたしましょう・・・・・・が、もし無事に解決したらその時はよろしくお願いしますよ」
「は、はい・・・・・・」
 消え入りそうな声で番頭は返事をした。それだけで何を言いたいのかわかったらしい。しかし背に腹は変えられない。
 今までにない満足げな笑顔を浮かべて、春光は扇を広げた。
 と、その視線が縁側の障子の方へ動いた。
「お父上様〜」
 開かれた障子から千夏が現れた。すぐさま甘えるように春光の膝の上に乗る。
「おお、いたのか。紹介しよう、この子はわけあって引き取った娘の千夏だ。千夏、挨拶をおし」
 ぺこりと頭を下げてから、黒く濡れた瞳でじっと番頭を見つめた。穴があくほど見つめられて、番頭は何事かと考えた。
「何か顔にでもついていますかな」
 平静を取り繕ってその少女に声をかけた。だが、千夏はまだ見つめつづける。
「これこれ、お客様の顔をそんなにじろじろ見てはならんぞ」
 春光に諭されて、千夏はやっと番頭から視線をはずした。自分を抱える義理の父親を見上げ、そして再び番頭の方を見やった。
 その時ほんの一瞬だが少女の眼が怪しげに光った。だが別のことで頭がいっぱいの番頭に気付くはずもない。そのまま座を立って、一人帰っていった。
 居間に座りながら何かを思案する春光の袖を千夏が引っ張った。
「ねえ、何を話してたの?」
「さてな、冬馬が来てから……おお、来たな」
 縁側の廊下から冬馬が湯飲みを盆に載せて現れた。客人がそこにいないのを見て、少し肩を下げた。
「もう帰ったのか・・・・・・」
「遅いのお、茶一つ出すのになぜこんなに時間がかかるのだ?」
「うるさい」
 目の前を指し示されて、冬馬は盆を横に下げて座った。座るなり冬馬は話を切り出した。
「で、何の話だったんだ。また借金じゃないだろうな」
 詰め寄る彼をなだめようと、春光は笑顔で首を振った。
「いいや。単なる頼みごとをされただけだよ」
「頼みごと?」
 いぶかしげな表情をする冬馬。黙って父親の次の言葉を待った。
 内緒ごとをするように、声音を低くして春光は彼に言った。
「おまえはこの家の稼業を知っているか?」
「え、この神社への奉仕でしょう?」
「それもあるがもう一つ重要な仕事があってな。これは藤森の家に生まれた者が避けて通れぬ道。つまり、妖怪退治じゃ」
「は・・・・・・、なに―――っ!」
 思わず叫び声を上げて冬馬は立ち上がった。そのままぐいっと父親の襟首をつかみ上げる。
「つまりなんだ、俺にそれをやれっていうのか?」
「物分りがいいのう。そんなわけで明日、門屋に行ってちょちょいとそいつを払って来い。なに大丈夫、おまえも一応藤森の血筋だしな。藤森といえばこのあたりでそういった類の仕事では有名なのだよ。ま、これが神社を継ぐおまえの初仕事だと思って・・・・・・」
「できるか! 大体俺がろくに術が使えないことを知ってるのは親父だろう。・・・・・・ちょっとまてよ、昔からそういった怪しい術を覚えさせようとしていたのはこれが目的で・・・・・・」
 冬馬のつかんだ手が一瞬緩んだ隙に、春光は襟にかかった手をどうやってかはずしていた。
「先方にはもう伝えてあるからな。藤森の名を汚さないよう頑張って来い」
「勝手に決めるなっ!」
 ぽんぽんと肩を叩かれて、冬馬は横を向いた。
「兄様、男らしく覚悟を決めようよ。もう後戻りはできないし」
 言われて冬馬はがっくりと肩を落とした。しかし慰めるように千夏が言った次の言葉がさらなる衝撃を与えた。
「もちろん千夏もついていってあげるから、ね?」
 あまりの衝撃に二の句を告げられず、眼をむいた冬馬の背後か春光が追い撃ちをかけた。
「おお、そうじゃな。冬馬も一人では寂しかろう。行っておあげ」
「ありがとう、お父上様っ!」
 たしかにこいつは普通じゃないが、親父はそれを知らないはず。仮にも父親を名乗る者が危険な場所に行くのを止めるでもなく、笑顔で行っておあげはないだろう。
 うきうきとしてはしゃぐ千夏と春光を見下ろして、冬馬は拳を握り締めた。
「だから、勝手に人のことを無視して話を進めるな―――っ!」
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