次の日、城下町へと続く街道を冬馬は歩いていた。表情がやや暗く、足取りも重い。
 そんな彼を見かねて千夏が非難した。
「冬馬ってばいい加減に明るくしてよ」
 傍らから厳しい叱咤の声が飛ぶ。千夏は冬馬の袖をつかんで、あきれたような眼差しで見上げていた。
「どうしてそう気持ちを切り替えられないかな。・・・・・・あ、もしかして出来なかったらどうしようとかそんなこと考えてるの?」
「・・・・・・」
 図星を指されて冬馬は言葉に詰まった。
 ほんと何考えてるのかわかりやすいのよねえ、と千夏がつぶやく。パタパタと右の掌を上下に振りながら、少女は口許で笑った。
「大丈夫だって、たぶん。行けば人間何とかなるでしょ」
「励ましにもならない激励をありがとう」
 軽く舌打ちをして、冬馬は深く息を吸い込んであたりを見回した。
 午後の日差しに照らされた田圃の稲は、青々と茂り風に波打っている。だが豊かな景色も彼の慰めにはならない。
 先日、門屋で見た事件を思い出した。
 倒れるならず者たち。そしてその後ろに見えた奇妙な白い影。あれは誰の眼にも見えてはいなかった。
 見えたのは姿だけ。実体の気配は欠片すら感じられなかった。
(あんなわけの分からないものをどうにかしろっていわれても、俺に出来るわけないじゃないか)
 物思いに耽っているところへいきなり右足の太ももを蹴られて、彼は現実へと引き戻された。
「なぁにぼぉっとしてるのよ」
 千夏のきつい声が耳にとどく。
 かなりの力で蹴られたので足がひどく痛かった。恨みを込めた声で冬馬は言った。
「おまえ、なにしやがる!」
「だっていつまでも無駄なこと考えているからでしょ」
 つーんとすました顔で千夏は彼の恨み節を受け流した。まだ物足りないのか足元に転がっていた小石を蹴る。
「それにしても、藤森の神社が物の怪退治をする家系だったなんてほんと意外だったわ。どうしてそんなおもしろいこと今まで教えてくれなかったの」
「それはお前が聞かなかったからだろ」
 実家の裏の稼業は表に出せないのに、教えるも教えないもない。だいたい冬馬も父親に言われるまでそのことをすっかり忘れていたのだ。
 しかしそんな理屈が千夏に通用するはずもない。
「こういうことは今度からは先に教えてよ。そうしないと今までの方がよかったって思うようになるわ」
 むちゃくちゃな理屈だ。笑って言うからなお怖い。
「わかったから、笑顔で脅すな」
 どうやら千夏は自分の知らないことがあると気に入らないらしい。そんな態度にこいつは自分勝手だなと思う。
 しばらく無言で歩いた後、千夏が再び声をかけてきた。
「冬馬は術が使えないのよね。でも力のない普通の人じゃない。初めて会った時、姿を消していたはずの私が見えたもの。あれはなぜ?」
 真剣な眼差しが彼に向けられる。
 一瞬だけ逡巡してからその問いに答えた。
「昔から見えたんだ。妖怪とか霊とかそういった類のものは見ようと思わなくても、自然と見えてしまう体質だった。だからそのせいだろ」
「それでも術は使えない」
「うるさいな。俺に出来ることは妖怪の奴らの姿を見て、それに触れることだけだ」
 この世ならざる者たちを見て、感じて、触れる。これだけが冬馬の持つ力だ。これではこれから行く妖怪退治でたいした役にならない。
 面倒で厄介な仕事だが神社の面子に関わるとなると、やらなければならないだろう。
 どうでもいいように思っている彼とは反対に、千夏は違ったように受け取ったらしい。たいしたことではないと言う冬馬を不思議そうに眺めている。
「そーかな。それが出来ればすごいんじゃない? 普通できないよ、私たちを、妖に触ることなんて」
「そうなのか?」
「見ることが出来る人は多いかもしれないけど、妖に触れられるなんて人、これまで生きてきて初めて会ったな」
「だがこれから行く場所に、そんな力はあっても役には立たない」
 自分の力を否定する冬馬に何か言おうとしたが、千夏は口を開いただけで止めた。別に言っても無駄だと思ったのだろう。
 かわりに千夏は猫なで声で急に甘えだした。
「疲れちゃった。ねえ、まだつかないの?」
 そう言って千夏は冬馬の腕に抱きついた。体重をかけられて重い。
「なにをしてほしいんだ?」
 一応聞いてはみたが、何を言いたいのか直感的に察した。
 にっこりと笑って千夏は歩く足を止めた。
「おんぶして」
 やっぱりと足を止めて冬馬はため息をついた。露骨に嫌そうな顔をしたが、彼は少女に逆らう気はなかった。
 拒絶すれば何があるか分かったものではない。しかも今はあたりに人はおらず、二人っきり。人目を気にすることなく、思う存分千夏は力を使えるのだから。
 道の真中にかがんで背に乗るように無言で差し招いた。その背中に千夏は飛び乗った。
 背負って立ち上がる時、冬馬はそれほど千夏の身体が重くないことに気付いた。普通の女の子とそうかわらないのではないだろうか。
「ありがとう、冬馬」
 思いがけずお礼の言葉を言われてなぜか冬馬が照れた。
「別にいいさ。これくらい」
 おまえは子供だからと。本性はどうであろうと、千夏の態度は子供のそれだ。冬馬の心がほんの少しだけ緩んでゆく。
(こいつは意外と素直なんだな。わがままな奴とばかり思っていたが)
 千夏は自分の欲しいものは欲しいと言い、気に入らないことがあると癇癪を起こす。それだけのことなのだ。脅されたことは数々あったとはいえ、実害はほとんどない。
 千夏の思わぬ一面に冬馬の千夏に対する見方が変わりかけた。だが、それで気を許すほど楽天的な性格ではない。
(正体の分からないことだけは確かだ。それを忘れてはいけない)
 心の中で自分を戒めて、冬馬は無邪気にはしゃぐ千夏を背に城下町へと向かった。
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