やっとのことで話が終わったらしい。憮然とした表情のまま、男は軽く頭を下げた。どうやら自分よりもあまりに年下の冬馬に対して、自尊心からか頭を下げたくはないようだ。
 ただ自分が門屋の主人の辰蔵であると名乗っただけで、あとの説明は全て番頭に任して子供の看病に戻ってしまった。
「こちらで寝ておられるのが門屋の後継ぎの小太郎様です。数日前に庭で突然倒れられて以来ずっと眠ったままなのでございます」
 子供はまだ三、四歳ぐらいだろうか。顔は血の気が引いていて真っ白で、とても生きているようには見えなかった。
「突然倒れたのはこの子だけですか」
「いいえ。他にも女中と下男と五人ばかりが寝たままです。それに先ほどまで元気だった小太郎様の異変に、奥方様までもがお気を狂わされて・・・・・・」
「余計なことはしゃべらんでいい」
 主人に厳しく諌められて、番頭は首をすぼめ口をつぐんだ。
 (世間に隠そうとしても隠し切れなくなっていらだっているみたいだな)
 しかし、口を閉ざしてさえいれば隠しきれるものでもない。
 冬馬の眼から見ればこの店の者はみな具合悪そうに見える。このいきがっている主人ですら、どこか顔色が悪い。
 この様子では門屋の様子が変だと、いつ町の者たちが噂していてもおかしくはないだろう。
「小太郎殿の様子を見させてもらってよいでしょうか」
 番頭に請うと、冬馬は店の主人とは反対側の枕もとの方に案内された。原因を探るためにその幼い少年を見下ろす。
 だが見た限り、子供に何かが取り付いているとか、近くに変なものがいるといった様子は見当たらない。
「ここにはいないみたいだが。だとするとどこに・・・・・・」
 彼の後ろにくっつくようについて来た千夏がその疑問に答えた。
「さすがお兄様、その辺はわかったようですわね」
「・・・・・・この期に及んで気色悪い冗談はよせ。それよりもこの元凶はどこにいる?」
 薄く口許で笑んだ千夏は自分の鼻を指差した。
「匂いをかいでみて」
 言われるがままに鼻をかいで見たが、部屋の匂いがきつくて特に変わった匂いは感じられない。
「別に匂いなんかないぞ・・・・・・えっ!?」
 湿った空気に混じって、ほんのかすかにかぐわしい匂いがした。
 その匂いは人の感覚を麻痺させるのに似た甘い香りであった。一度それに気が付くと、匂いは部屋の外から漂っていることが知れた。
「甘ったるい匂い。どこかで嗅いだことがあるような」
「そう、それ。その匂いよ」
 しかし冬馬たちには嗅ぎわけられた匂いも、普通の人であるこの店の主人や番頭には分からないらしい。
「何を言っているのだ。甘い匂いなどどこでしておる」
 ふざけるのも大概にしろと主人は怒ったが、冬馬も千夏もその言葉にかまっている余裕はなかった。
「庭の方からだ。向こうには何が?」
「あ、あちらには古い土蔵が・・・・・・」
 番頭が指差して言うと、彼らは次の言葉も待たずにその方向へ駆け出した。
「そこにこの原因となったやつがいるんだな」
「ご名答。やれば出来るじゃない、お兄様」
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