「・・・・・・これか。見るからに嫌な感じだな」
蔵の前に立ち尽くしながら一言感想を呟いた冬馬。それを聞いた千夏も首を縦に頷いた。
「古くて誰も近づかない。隠れ場所にはもってこいね」
甘い香りはここに来て一層強くなっていた。それに蔵の扉の間からなぜか淡い色をした靄が漏れ出しているように見える。
(匂いと同じでこの店の者には見えないみたいだが・・・・・・)
もう一度その匂いを確かめようと匂いを嗅いだ時、少女はたしなめる声を出した。
「あまり吸っちゃ駄目。なるべく中に入ったら息は最小限にしないと危ないわ。でないと冬馬もこの店の人たちみたいに生気抜かれちゃうよ」
「生気?」
「人間の命の源みたいなもの・・・・・・かな。ここに棲み憑いた奴がそれを食い物にして自分の力を蓄えているの」
妙に詳しい説明に冬馬は不信を覚えた。
「何か知っているのか?」
だが千夏は彼の眼を見ることなく、うつむいたままくすりと笑った。
「・・・・・・知ってるよ。この土地に来る前に、参考までにって聞いてきたから」
そう言った少女の眼が一瞬だけ金色を帯びた気がした。
彼を見上げて微笑むその顔。何か企んでいるような、秘密を抱えているような、今まで冬馬が見たことのない顔だった。
その理由を問う間もなく、千夏は扉の前に立った。
「開けて、早く」
後ろから後を追ってやってきた番頭に扉の錠前を開けるよう命じた。その子供とは思えぬ気迫に気おされて、慌ててその鍵を取り出す。
軋んだ音を立てて木の扉が重々しく開かれた。
薄暗い蔵の内部は人が踏み入れていないことを示しているのか、床だけでなく蔵の中のあらゆる物の上に厚く埃がかぶっていた。
造りとしては二階作りの大きめの蔵だ。奥のほうは入り口の光が届かず、暗すぎて様子がよくわからない。
恐れる気配もなくさっさと中へ入った千夏が入り口のところで立ち止まったままの冬馬を睨みつけた。
「何してるの、早く入って来てよ」
彼が入るやいなや、様子を伺おうと顔を覗き込んだ店の主や番頭を扉の前で身体を張って遮った。
「ここからはお兄様のお仕事ですので、素人の方はご遠慮くださいませ」
そう言うと千夏は有無を言わさずさっさと扉を閉めさせてしまった。
一応冬馬は千夏の言われるがままに扉を閉めたが、彼女の言葉を聞いた時に湧き上がっていた疑問を口にした。
「俺だって、その手の仕事に関しては素人だ」
「えぇ? お兄様はあの物の怪退治を生業とする神社の生まれだから、自分が素人なんていう資格はないわよ。大体、その物の怪を見ても動じない上に、つかみ上げて放りだしたんだから。ちゃんと忘れてないからね」
脅しとも取れる言葉に冬馬はうめいた。
「・・・・・・このやろ」
その時だった。背中に悪寒が走ったのは。
誰かが見ている。素早く冬馬はその方向に視線を向けた。
闇が深くて姿を見極めることが出来ない。だが、何かがいることだけは感じられた。彼らに向ける視線は殺気が満ち満ちている。
「千夏・・・・・・」
「こいつよ、探してた奴は」
探していたと千夏は言う。しかし冬馬には何のことだか分からない。
「それはどういうことだ?」
「そのままよ。千夏は・・・・・・私はこいつを探しにこの土地へ来たの。ずっとずっと遠い場所から・・・・・・ね」
だから、と少女は何かが潜む闇を睨みつけた。
細い小さな手をすっと前へ差し伸べる。唇から漏れるのは甘美なささやき。
「見つけたからには逃がさないわ。巧妙に気配を隠したおまえを見つけるのにどれだけ時間がかかったと思って? だから、もう絶対に逃げられない場所へ連れて行くわ」
闇に向けて言い放った千夏はそのまま顔を冬馬に向けた。極上の笑顔をたたえて、少女は兄と呼ぶ若者にさらりと言った。
「あとはお兄様の出番だからよろしくね」
「よろしくねって、・・・・・・おい!」
不意に目の前の千夏の姿がゆがんだ。あたりの闇もねじれていく。
少女は平然とした様子で微笑んでいる。
「大丈夫よ、冬馬。大丈夫」
千夏がそう言うのが微かに聞こえた。安心させているのか、それとも自身を持てとはっぱをかけているのか。
薄らぐ自我の中で冬馬は眼を閉じた・・・・・・。
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