空は一面の闇であった。そして大地に広がるほのかな白光の群れ。
 固く閉ざした目を見開いた冬馬は、そこが先ほどまでいた古い土蔵ではなく、まったく違う場所であるのに気付いた。さらに今自分のいるここが自分の生きてきた場所と遥かにかけ離れた世界であることも本能的に悟った。
 一歩彼が足を踏み出すと、かさりと草ずれのような音がして、足元で幾枚かの白い花片が舞った。
 呆然と冬馬はその幻想的な光景を見守る。
 白い光を放っているのは地平の彼方まで咲き誇っていた白い花であった。その現にはありえない花園は浮き世ではなく、彼岸の彼方にいるかのような錯覚に彼を囚われさせた。
 冬馬は何かを探すように視線をあたりに走らせた。
「千夏―――っ!」
 先ほどまで傍らにいたはずの少女の名を呼ぶが、闇の空に吸い込まれていくだけで返事はない。
「どこにいるんだ、千夏!」
 再び別の方向へ向けて叫んだがやはり返事はない。
 門屋の蔵にいたはずなのに目を開けばこの不可思議な園に立っていた。その理由を説明できるのはあの狐の少女だけしかいないのに。
 側にいなければ何も聞けない。なによりも、元の場所へどうやって戻ったらいいのか。
(あいつ、どこに消えたんだ?)
 困っている自分を隠れて見て笑っているのではないだろうな、と思ったりもする。さすがにそこまでは、と一応否定はしたがありえないことではない。
 それに、と冬馬は厳しい目であたりの様子を伺った。
(蔵の中にいたあの化け物は―――?)
 気がかりなことにその化け物の気配すらしなかった。気配を消しているのか、それともここにはいないというのか。
 もう一度闇に向けて、冬馬は怒りを込めて怒鳴った。
「千夏! いい加減にしろ! 今夜の夕餉がなくなってもいいのか!」
「・・・・・・それはいやだわ。そうねぇ、今日は久しぶりにお魚が食べたいな。そうだ鮎がいい、鮎!」
 唐突に彼の隣に千夏が現れた。だが現れた少女は人の姿をしてはいない。
 ふわりと宙に浮かんだ少女を見上げて冬馬は言った。
「どうしたんだ、その姿は・・・・・・」
「ああ、これ? だってここだとこの姿じゃなければだめなんだもの。こっちの私も可愛いでしょ、どう?」
 白い花の大地に千夏の黒髪が翻った。
 なんだかいつもと雰囲気が違うと冬馬は感じていた。
 それは姿が違うせいだろうか。今の千夏の姿は冬馬と初めて出会ったときの姿だった。
 獣の耳に、豊かな五本の尻尾。つややかな毛並みの色は闇に光が照りかえった見事な黒。
それは千夏の妖の狐としての本性の姿。
 さらに衣装までもが違っていた。裾が膝丈で袂が地に届きそうに長い紅の着物に変わっている。長い長い黒髪を宙に揺らして、狐の少女は金の瞳を煌めかせた。
「ここがどこか、わかる?」
 いたずらめいたその問いはからかおうとしているのがみえみえで、冬馬は少しむっとした。
「知るか。お前がここに連れてきたんだろうが!?」
「確かにそうだけど、でもそんなどうでもいいような言い方ないでしょ」
「そんなことよりもどういうことかさっさと説明しろ!」
 ついに怒りだした冬馬。千夏はしょうがないわねといった様子でため息をつく。
「ここはね、夢の中、なの」
「は・・・・・・!?」
 何を言い出すのか。冗談かと思ったが千夏の眼はいつになく真剣だった。
「夢・・・・・・? そんな馬鹿な、夢に入れるものか」
「ま、それが普通の反応よね。どう説明したらいいのかな。私たちがいるこの夢が普通の夢とは違うってこと。ここは私が特別に創り出した夢の領域。そこに冬馬とあいつを引っ張り込んだのよ。あの蔵の中で暴れたら狭くてしょうがないじゃない。それにこの場所ならあいつも隠れることは出来ない」
「あいつって?」
「門屋の蔵の中にいて人の生気を食らっていた化け物のこと。・・・・・・ほら、やっと私たちの場所がわかったみたいよ」
 千夏が冷たい眼差しを投げたその方角から、白い花を踏み荒らして何かがやってくる気配がした。闇の中から現れたそれは獣らしいが、その面影はほとんどない。まさしく化け物と呼ぶにふさわしい生き物だった。
 そいつは冬馬たちの姿を見るや、立ち上がってすさまじい咆哮を上げた。
「私は冬馬の精神・・・・・・つまり魂だけここに連れてきたの。身体は蔵の中で寝ているわ。でも気をつけてね、生身じゃなくても怪我をすればそれは魂を傷つけられることと同じ。当たり所が悪ければ、それで死んじゃうこともあるから。じゅうっぶん気をつけてね!」
「・・・・・・っておい!」
「ほら、来るわよ。横に避けて!!」
 振り上げられた化け物の腕を、横に飛んで間一髪で避けた。彼らがいた場所は化け物の鋭い爪で深くえぐられ、無残な姿をさらした。
 そのあまりのすさまじさに冬馬の背に冷や汗が伝う。
(人の手でどうにかできるのか、これを!)
「千夏、どうにかしろ!」
 攻撃を身軽な動きで避けながら、千夏は冬馬の方を振り向いた。
「出来ないわ。だって私、攻撃する力なんて持ってないもの」
「無責任なことを言うな!」
「無理なことは無理よ。だって私にはこいつをどうにか倒す力なんてないの。その代わりをやってもらうために冬馬を連れてきたんじゃない。だから死ぬ気で頑張ってこいつを倒して。文句は受付けないからね」
 無茶なことを平気で言ってのけて、千夏はにっこりと微笑んだ。
第四章 黒白の園へ
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