「無理だっ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないの! 倒さなければまちがいなく殺されるわよ、そこんとこ、わかってんのッ!!」
 どうやってあんな馬鹿でかい化け物を倒せというのだ。様々な獣の部分が入り混じったそれは冬馬と千夏を獲物と狙い定めて間髪いれず襲い掛かってくる。
 次々と繰り出される爪を前に、冬馬は刀を手にただ逃げ回るしかなかった。
 空に白い花片が舞い上がる。
 美しくも幻想的な世界を眺める余裕が彼にはなかった。ただ逃げるだけで精一杯だった。
 逃げるのに必死な彼とは正反対に、千夏はのんびりとした口調で話し掛けてきた。
「綺麗でしょ、この景色。創り出すの結構苦労したのよ。なかなか私の美意識に適う景色ができなくて」
 こんな時になにを、と非難の眼差しを向けるが、少女は語るのを止めなかった。
「夢は幻、現実は真。これが普通の常識。でも私は違う。この夢の中の姿こそが本当の私なの。現実の世界は私にとって偽りでしかない」
 言うとひょいと千夏は空を蹴った。化け物が放った青白い炎がその後を走る。
 消えゆく炎の軌跡を眺めやって、千夏は口許に冷笑を浮かべた。
「現実と夢の狭間に住まい、幻を操る者。それが私たち狐の一族。人の中には私たちを妖狐とも言う人もいるわ。普通なら私たちは冬馬たち人間とは関わることはない。でもいまは非常事態なの」
「・・・・・・っ!」
 千夏に気を取られていてほんの少し避けるのが遅れた。
 すれすれのところで炎の攻撃を避けたが、わずかに避けきれず胸のあたりの着物が黒く焦げ付いた。
 余裕のない冬馬とは違って、千夏は攻撃が読めているのかこともなげに炎を避けていた。 宙を華麗に飛び回る少女。冬馬よりもさらに攻撃を向けられながらもけっして当たることはなかった。
「私はね、あいつをもう一度封じるためにここに来たの」
 もう一度、という言葉が引っかかった。だが聞くような暇はない。
 たん、と地を蹴って少女は化け物を見下ろす高さまで浮かんだ。あざけりの響きを込めて、千夏は化け物めがけて言った。
「人の生気を食らって少しでも憧れの《狐》に近づくことは出来るようになったかしら? ・・・・・・ああ、でももうその様子だと、すっかり化け物になっちゃって私の言葉の意味もわからないわね」
 くすくすと笑いながら千夏は手を横に振り払った。するとまわりには幾人もの千夏の幻が浮かび上がった。
 誰もが冷たい微笑を浮かべ、それぞれに化け物を挑発する。化け物はすっかり騙されてそれらにめがけて無駄な攻撃を繰り返した。
 本物の千夏は地に降り立って、後ろで荒く息を吐いている冬馬の方を向いた。
「男らしくないわねぇ。たったこれしきのことで息があがってどうすんのよ」
「おまえは空飛んでいたから楽だったろうが、俺はその間ずっと走り回ってたんだぞ」
「文句言わないの! それより早く退治してよね。じゃないと帰れないわよ」
「倒せって? 出来るかそんなこと!」
「も―――っ! 出来るったら出来るわよ! 冬馬が刀でこいつをぶった切ればいいの。それで全てが片付くの!」
 無茶も無茶。わがままもわがままな発言だ。冗談ではないと冬馬は叫び出したかった。
「普通の刀で切れるのか、あれが!」
 妖怪の類に普通の刀が効くとは思えない。
 しかしこちらも苛立ちが最高潮に達したらしく、少女も怒鳴り返した。
「ぐちぐち言わない! さっさと男らしく行けッ」


 蔵の外で冬馬たちを待っていた番頭は突然肩を叩かれて短い悲鳴をあげた。
 誰かと振り向いて後ろに立つ人物を見て、安堵の表情を浮かべた。
「神主様、来て下さったのですか」
「少し用がありまして近くまで来たのでついでに様子を見に来ただけでして。・・・・・・ところで冬馬たちはこの中ですかな?」
 扇を開いて口許を隠しながら春光は尋ねた。
「はい。ですが藤森の若君とお嬢様が入られたきり、この蔵の扉が開かなくなってしまったのですよ。中から鍵はかけられないはずなのですが・・・・・・」
 おやおやとつぶやいて春光は扇の陰でよからぬことを企む時の油断ない微笑を浮かべた。当然その口許は番頭からは見えない。
 心配そうに見やる番頭に、今度は穏やかに微笑みかけた。普段、冬馬とのやり取りでは見られない仕事用の笑顔だった。このあたり、親子で血は争えない。
「息子たちは大丈夫ですよ。かならずやり遂げて出てくるでしょう。・・・・・・ところで一つお聞きしたいことがあったのですがいいですかな」
「なんでしょう」
「藤塚のことなのですが。あらぬ噂を聞きましてね、あの塚を壊したのはならず者だが金で雇われていたという話があるんですよ」
 さっと番頭の顔色が蒼ざめた。
「おや、顔色が悪いですな」
 さりげなくを装って尋ねると、番頭はガマのように脂汗をひたすら出しながら首を振った。
「い、いえ。私も体調が思わしくないもので・・・・・・」
「そうですか。お互い老齢の身、無理は禁物ですぞ。・・・・・・話の続きですが、その噂のならず者、原因不明の病で死んだ者がいるとか。聞けばその症状は私が伺った門屋の病とどうやら症状が似ているらしい・・・・・・心当たりはありませぬか?」
「・・・・・・」
「これはまた別の筋からですが、近頃、門屋で新しく別宅を建てる予定だと伺いましてな。その場所が城下町からかなり外れたところで、別宅を建てる場所には少しおかしいと。すでに他にも別宅が幾つもありながら、なぜ新しく隠れるように立てようとしていたのでしょうかなぁ。ほかにもよさそうな土地はありそうなものなのに」
「ど、どこまで知って・・・・・・」
 青くなったり赤くなったり忙しい番頭はもう言葉を言うことが出来なくなっていた。
 春光は変わらぬ笑顔をたたえたまま、ぱちりと扇を閉じた。
「私は意外となんでも知っているのですよ。そうですね、私の頼みを聞いてくださればこの話、忘れてあげましょう」
Copyright(c)2008.ginyouju.All Rights Reserved
inserted by FC2 system