「誰かがこの夢に干渉している」
 ぎりっと唇をかみ締めながら千夏は言った。少しだけ誇りが傷つけられたらしく、その顔には苦渋の色が浮かんでいる。
 誰が干渉したのか、尋常ではない知覚能力を持つ少女にはすぐさま分かった。
 目の前で刀を下に構えながらなんとか化け物に近づこうとしている冬馬を見ながら、千夏は思った。
(普通じゃないのはやっぱり血筋のせいなのかしら)
 炎を切り裂いたことも、きっと外からの干渉だけのせいではない。
 力がないと言いながら、実際にはどうだか分からない。本人に自覚がないだけの問題ではないのだろうか。
「もしかしたらとんでもない人間と知り合っちゃったのかも」
 冬馬の戦いも佳境に入っていた。
 疲れ始めているのは冬馬だけではなく、相手の化け物も同じだったらしい。
 息切れしたのか、続けざまに炎を放っていた化け物の動きが止まった。その隙を冬馬は見逃さなかった。
冬馬は銀の輝きを帯びた刀を握り締めた。
 刀はこんどこそ化け物の腹を深く薙ぎ払った。
 響き渡る断末魔の叫び。
それは獣が死に際に鳴くような哀しい声だった。狼の声に似ていたような気がする。
 そして光と共に跡形もなく消えてしまった。
 大地には白い花の残骸と、燃え残った炎だけがあった。 茫然とした態で冬馬はそこに立ちすくんでいた。刀は光を失い、もとの鈍い輝きの刃に戻っていた。「倒したのか?」 ぱちぱちと手を叩きながら千夏が駆け寄ってくる。
「ご苦労様、冬馬」
 手にした刀を見つめながら千夏に尋ねた。
「さっきの刀の光も、おまえの仕業か?」
「それは違うわよ。だって私が出来ることのなかにそんな力なんてないもの」
「ならばなんだよ」
「教えない〜〜〜♪」
「・・・・・・このやろう」
 刀を鞘に収めて冬馬はやっと自分が生き延びたことを実感した。殺されると思ったことは初めてだった。
(もっと剣の腕を磨かないと駄目だな)
 明日からさらに稽古を厳しくしようと心に誓う。まずは朝の素振りを百本追加だ。
 握り締めた拳にそっと手が触れられて、冬馬は擦り寄ってきた千夏を見下ろした。
「あの化け物の正体はなんだったんだ? お前は知っているんだろう?」
「あれはね、私たち狐になりたくてなりたくて仕方がなかった妖獣のなれ果てなの。少しでも私たちに近づきたくて、でもできなくて、その結果人間の生気を食らい、ただの醜い化け物となってしまったのよ」
 髪を掻きあげながら千夏は化け物のいた場所を見つめた。だがその眼は冷ややかで同情のかけらなど見当たらなかった。
「ああいうことをしでかした以上私たちが責任もって始末しなければいけなかったのよ。でもあいつは哀れというよりは愚かと言うしかないわ」
 冷たく言い放った千夏はふと思い出したように頭上を振り仰いで冬馬を見つめた。
「そうだ、冬馬にいいこと教えてあげる」
「いいこと?」
「そ、私の本当のな・ま・え」
 狐の耳と尻尾を持つ少女はぽんと飛び跳ねて冬馬の眼の高さに視点を合わせた。
「あたしの一族の身分は黒毛五尾の妖狐。真名はミズハよ。どう、いい名前でしょ?」
 冬馬の手のひらに水葉と自分の名をなぞる。だが、彼はそれを見てもたいした感動を見せなかった。
「水葉・・・・・・ねえ」
 反応の薄さに水葉と名乗った少女が口を尖らせた。
「ちょっとは感動してくれない? 私の真名を知っている人間なんて他にいないのよ」
「別に教えてくれって頼んだわけでもないし」
 冷たいその言いにさすがにむっときたが、彼女はなんとかこらえた。このときは。
「・・・・・・まあ、いいわよ。とにかくこれからはこの狐の姿の時は水葉って読んでね。もちろん人間の時は千夏よ、わかった!?」
 めんどくさいことこの上ないといった顔で冬馬ははき捨てるように言った。
「べつにどっちでもいいだろうが」
 さすがにその投げやりな態度が我慢していた水葉の癇に障ったようだ。
「どっちでもよくはないわよ!」
 冬馬の頬を水葉はきつく抓んだ。
「いい? 狐の時が水葉、人間の時が千夏。私はどっちの名前も気に入ってるの。だからどっちの名前も呼んで欲しいから状況によって呼び方を変えてっていってるだけ。簡単でしょ!?」
 彼が聞こうが聞くまいがかまわず、水葉は前からあこがれていたのとか、でも千夏の名前も好きだとか言っていた。
 しかし冬馬はかなり強くつねられているため、ちゃんとそれらを聞いている余裕がない。頬をかなりきつくつねられていて、痛くて涙が出そうだった。
「分かった?」
「わかっひゃからはなへ」
 ちゃんと呼ばなかった時はどうなるかわかってるわよね、と軽く脅されてやっと解放された。
赤くなった頬をさすりながら、冬馬は内心不安一杯の先行きを思いやらずにはいられなかった。
 わがままで人外魔境なこの狐の少女に振り回されて、自分の人生はどうなってしまうのだろうかとため息の出る思いだった。
「事件の元凶の奴も倒して一件落着。もとの世界へ戻わわよ」
 指先を上に空高く、水葉は手を振り上げた。
 空気が揺れる。視界はゆがみ、世界が変わる。
 気がつけば二人は元の埃まみれの蔵に立っていた。
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