「早瀬君、ここの問題教えてくれないか?」
「ああ、これは公式を使うんだ。こうやって・・・・・・」
「早瀬ーっ、ホームルームでアンケートやってくれって先生から渡されたんだけど」
「ありがとう」
 授業が終わって彼の周りにはいつも誰かしら集まってくる。それは勉強を教えてほしいというものから、学級委員長としての仕事のことだったり、悩み相談だったり、それはきりがない。
 周囲から自分はどう見られているのだろうと思うことはある。
 目立つ気もないのに、気がつくと人が自分の周りにいる。それはもう当たり前の光景になりつつあった。
 うーん、と裕樹はシャープペンの頭を顎につけて考えた。
 だが自分で考えるより、こういうことは聞いてみるのが一番だ。うってつけの人物がそこにいる。
 裕樹は荷物をカバンに片付けている遙の側に近づいた。
「遙、これから部活なの?」
「うん、主将が張り切っててさー。毎日ハードな練習だよ」
 でもそんなことちっとも苦にならないようで、彼の顔は明るかった。
「だけどがんばれば早くレギュラーになれるはずだから。がんばんないとね」
「そっか、がんばれよ」
 そういって一瞬ためらってから裕樹は自分の疑問を彼にぶつけてみた。
「なあ遙。俺ってどういう人間かな」
「へ?」
「だからお前から見て俺はどういう風に見える?」
 遙は顎に片手を当ててしばし考えたのちに、そうだなあと口を開いた。
「学年一の優等生。頼りになる委員長。俺なんかまだまだ子供だけど、お前いつも落ち着いているし、俺よりぜんぜん大人みたいな感じだな」
 やっぱりそう見えるのか。遙は思ったことを素直に口に出して飾ることをしないから、その言葉はすべて彼の本音なんだろう。
 だけどそれは自分の望む答えが現実とずれていることを示していた。
 彼女もそういう風に見ているんだろうか。
「あ、裕樹もう帰るんだろ? ちょっと頼んでいいかな」
 自分の考えに沈んでいた裕樹は現実の世界に引き戻された。
「何?」
「駅前の書店で買ってきてほしい雑誌があるんだ。学校の売店においてくれないやつでさ。俺、寮生だから駅のほうに行かないし、しばらく部活が忙しくて外出できそうもないから」
「いいよ、今日寄ろうと思っていたし」
「そっか、ありがと。じゃあ今、雑誌の名前メモするから待ってて」


「講道館機関誌柔道に、近代柔道、それから柔道日本オリンピック代表の特別版雑誌か。ほんっとにあいつは柔道のことばっかだな」
 遙からのメモを眺めながら裕樹はしみじみとつぶやいた。ここまで一直線になれるものがあるって言うのは結構うらやましかったりする。
 今日は会議もないので、これから駅前にでも行って一人のんびり店でも巡って見ようと考えていた。参考書も探したいし、靴も見てみたい。
 校門を出て右へ曲がり、駅のほうへと歩き始めた。
 新緑の桜の道を歩いていると、目の前から華やかな制服を身にまとった女の子たちの集団がやってきたのがわかった。
 制服を見てそれが隣の女子校の生徒たちだということがわかる。
 翔峰学園に隣接する翔峰学院。校名が似ていてややこしいことだが、その名の通り裕樹の学校とは同じ法人が経営する姉妹校だ。だが隣り合わせとはいえ、二つの学校は男子校と女子校ということもあって両校の交流はあまりない。
 だが男子校のサガというべきか、生徒たちはこっそり憧れの女の子たちを眺めているばかりで、なかなか声をかけられずもだえている。さらに学校の周りには女子校の先生たちが目を光らせているのでなかなかうかつなことはできない。
 男子校の隣に女子校があるのって、男にとってはかなり無情なことじゃないのか。
 そう考えながら歩いていると、自分のほうへ歩いてくる女の子たちの中の一人が、突然手を振って裕樹の名前を呼んだ。
「裕樹ーーーっ!」
 聞き覚えのある声にはっとして目を向けた。女の子たちの中でも一人背の高い女子生徒が彼に向かってぶんぶん手を振っている。
「冴!?」
 驚いて裕樹は立ち止まった。そんな彼の元へ冴と呼ばれた女の子が駆け寄ってきた。
「学校帰りであうなんてめずらしいな。今帰りか?」
「ああ。冴こそ家に帰るなら方向が反対だろ?」
「ん、今日は美味しいケーキの出してくれる店があるから、そこにみんなでお茶しに行くんだ」
 それは彼女の向こうにいる女の子たちとだろう。
 冴が女友達と一緒にお茶をしにいくなんて、今までから見れば考えられないことだった。なんせ彼女は中学までは男の子と一緒にいることのほうが多かったから。
「ねー、冴。この人は誰? 紹介しなさいよー」
 彼女の後ろから抱きつくようにして一人の女子生徒が飛びつくと、わらわらと彼女の友達が集まってきた。
「ずるいわよ、冴ちゃん。お隣の男子校に知り合いがいるって言ってなかったじゃない」
「ごめん。別にいう必要ないと思ってたから」
 ちっちっち、と人差し指を立ててその女の子が言った。
「冴、女子校の女の子にとって男の子とお知り合いになる機会はとっても大切なのよ」
「そういうものか?」
「もう冴ちゃんったらー」
 あははは、とにこやかに笑う女の子たちの集団から取り残された裕樹は呆然と目の前の光景を眺めるばかりだった。男子たちとは違う、女の子の華やかな雰囲気にはどうも馴染めない。
「ちょっと、この人困っているみたいよ」
 落ち着いた少女の声に促されて、やっと裕樹の存在を思い出してくれたらしい。
 冴が慌ててみんなに裕樹を紹介した。
「私の従弟で裕樹だ。学年は私と同じ一年で、翔峰学園に通っている」
「早瀬裕樹といいます。いつも冴がお世話になっています」
 礼儀正しくお辞儀をすると、女の子たちからきゃーという歓声が上がる。
「いいなあ、こんな綺麗な従弟がいるなんてうらやましいわ」
「早瀬っていうとたしか今年の新入生代表じゃないのか?」
「え、ほんと? じゃあ首席ってこと? 頭もいいんだ、すごいなあ。でもほんとに冴の従弟なの?」
「うるさいな、確かに私は頭が良くないが裕樹はまちがいなく私の従弟だ」
 不満げに言い置いて、冴は裕樹のほうを向いた。
「立ち話もなんだから、祐樹も一緒に来るか?」
「いや、いい。おれこれからよるとこあるし」
 女の子たちの集団に喫茶店でケーキを食べながら男一人で囲まれる度胸はない。慌てて断ろうとすると、突然ぐいっと首を後ろに絞められた。
「なーに、女の子に囲まれているんだよ。抜け駆けは卑怯だぞ、裕樹!」
「う・・・・・・その声は秋郷だな」
 いつの間にか彼の後ろに忍び寄っていたのか、クラスメートの秋郷泰明が裕樹の首に腕を捲きつけたまま、にっこりと女の子に笑顔を振りまいていた。
「はじめまして、俺、秋郷泰明って言うんだ。早瀬とは同級生。よろしくね」
 いかにも手馴れた様子で女の子たちに声をかけている。がっちり首を絞められて動けない裕樹はもがきながらうめいた。
「おまえ、なんで!」
「何言ってんだよ。校門の近くで女の子に囲まれて相当目立ってたぞ」
 言われて初めて辺りを見回した。すると遠巻きながら同じ学校の生徒たちがうらやましげにこっちを見ている。
「へー、早瀬君って翔峰学院の生徒に知り合いがいたんですね」
 後ろからひょっこりと太一が顔を出してきた。さらに寡黙な高木誠まで会話に入ってきた。
「あきらめろ。こうなったら泰明の独壇場だ」
 そういっているうちにも彼は彼女たちの中で一番にぎやかだった女の子と仲良く話していた。やっぱりあいつは女の子の扱いがうまい。
 ひい、ふう、みい、と秋郷が目の前にいる女の子の数を数え、自分の周りにいる友人たちを眺め、何か思いついたように顔を輝かせた。
「よっしゃ、人数もぴったり」
「何がだ」
 睨み付ける裕樹にふっふっふと得意げに微笑みながら、彼は女の子たちに向かって言った。
「もしよければ今度の日曜にでも俺たちと一緒にどこかへ出かけない?」
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